・すでにご存じの方もたくさんいらっしゃると思いますが、 僕はADHDです。診断書をもらったりしているわけではありませんが、 ADHDの特徴と言われる多動性・ 衝動性をふんだんに併せ持っています。また、 ADHDの人が起こしやすいという対人関係のトラブルや社会的齟 齬も、数限りなく経験してきました。
たとえば学校の教科が分かれていること。僕にとっては国語と算数がどうして区別されているのか、 さっぱりわかりませんでした。 授業中はおとなしく座って先生のお話を聞かなければいけないとい うことも知らなかったのです。「ステップを踏んで進む」ということもわかっていなかったので、 計画を立てるのは大の苦手でした。というか、 計画の意味がわかりませんでした。
・空気が読めず、場所やタイミングをわきまえず、 言いたいことを言ってしまう「変わったやつ」 だった僕がみんなに喜ばれる……こんなにうれしいここがあるでしょうか。きっと時代がADHDに味方してくれているのだと思います。そう、いちばん大きなポイントは、 僕がADHDだったことにあります。だって今、「斬新な発想力こそが必要」とか「 人が思いつかないことを思いつくことが大事」とか言われているじゃないですか。
・自分で言うのもなんですが、僕の書く書も、創り出すアートも、 人前でするお話も、全部多くの方に喜ばれています。何をしても「わあ! 面白い!」「すごい! こんなこと思いつくなんて!」 と歓声が上がるんです。もしかして僕は、 上野動物園のパンダのシャンシャンの向こうを張れる「喜ばせ屋」 なんじゃない? とうぬぼれそうになることがあるほどです。
・パンダではないにせよ、 僕は新たに登場した珍獣のようなものかも知れません。 珍しい新種の生き物が、珍しいものを書いたり、つくったり、 しゃべったりするのです。
・これは僕の主観なのですが、ADHDの特徴として、「 物事の受け止め方が普通でない」というのがあるように思います。一般の人が「そういうものだ」と受け止められることが受け止められないというか。たとえば僕は小学校に入って、まず「1+1=2」でつっかえました。
・ADHDの人にはそんなふうに、 できることとできないことの差が激しいところがあるように思いま す。デコボコしているんですよね。このお子さんがデコの部分を伸ばして、 自分らしく生きていけるといいなあと、心から思いました。
・「 比較」とか「評価」などもさっぱりわかりませんでした。比較って一つのものさしに当てはめるってことですよね?背が高い・背が低い、とか特性としてあるのはわかりますが、 そこに優劣が入ることが解せないんです。 それってヒマワリとキノコを比べるようなものじゃない?って思ってしまいます。人間界が決める分類・比較・評価は、 僕にとっては永遠の謎解きゲームになりそうです。
・僕は「今」に集中してしまうので、 将来の展望を思い描いたことがありません。思い描こうとしても、 さっぱりイメージが湧かないんです。こんな人間なので、 大学生活もただただその日一日の楽しさを追求するだけで、その日が4年間で終わるということを想定していませんでした。
・自分の書いた文字に、涙を流して喜んでくれる人がいる! その喜びの涙を見たとき、「ああ、 俺がやりたかったのはこういうことだ!」 という思いが激しくこみ上げてきたのです。なんだなんだ、これだったのかよ! こういうことが俺はやりたかったのかよ! 自分が何をやりたいかなんて考えたことのない僕が、です。 自分でも驚きました。 そして、その場で辞表を書いてしまったんです。辞表の「辞」は、右側の「辛」というつくりに1本足して「幸」 にしました。我ながらポジティブでよいアイデアだと思いました。
・辞めるのか? 辞めて何をする気だ?」と言うんです。それで、「人の名前を書いて、人の人生を変えて、 ひいては世界を変えます」と答えました。
人事の偉い人はびっくりして「 何を言っているのか全然わからない。それで飯が食えるのか?」 と言います。それに対する僕の答えは「 すでに世界を変えつつあるのだから、 飯ぐらいいっぱい食えると思います」でした。こうして書いていて、自分でも笑っちゃいます。 全然話が噛み合ってないですよね。
ワタシは、そこまではいかないけど3割くらいはありそうだなあ。オススメです。(=^・^=)