「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「幸も不幸もないんですよ 人に、お金に、運に好かれる法則」(小林正観)

またまた小林正観さんの本。もう20年くらい読んでいるけど、せっかくなので、再読して全著作を制覇しちゃおう!!!


「読めば心が軽くなり、実践すれば人生が変わる」と落語家・柳家花緑氏も絶賛!日常生活で遭遇するすべての悩みに、明るい光が差し込んでくるでしょう」そのエッセンスを紹介しよう。

 

・お金にも基本的な人格があるようなのです。それは、「喜ばれたい」というもの。すべての鉱物、すべての植物、すべての動物、すべての人間が、「喜ばれたくて」この世に存在しています。物や無機物については、「生きている」という確認がしにくいことは確かです。が、「すべてのものが喜ばれたくて”存在している」ということがわかると、鉱物や無機物にも「生きている」状態があることがわかります。
 
・関西の人たちのお金の使い方は、「喜ばれること」が常にベースにありました。大阪の有名な道頓堀。これは安井道頓という個人がお金を出して掘ったもの。岡田心斎という個人がお金を出して作ったのが心斎橋。淀屋さんがお金を出して作ったのが淀屋橋。 個人出資によって公共的な物が、次々と作られました。それが関西の“長者さん。
 
・お金との上手なつき合い方。「ギャンブルにのめり込まない」「自分だけのぜいたく・華美に使わない」「ため込まない」各種の事情で出て行かなくてはいけないときは、「たくさんの仲間を連れて帰ってきてね」と言い聞かせる。
 
・大金持ちの家は、トイレのふたが閉まっています。また、掃除のやり方は自由ですが、汚れに対して生身で近づけば近づくほど、臨時収入の「0」の数はふえるようです。ゴム手袋をはめるよりは素手でやる。小さな汚れにも手を抜かない。落ちない汚れは爪も使ってみる。自宅だけでなく不特定多数の人が使うトイレもきれいにする、といったことを実践しましょう。お金が勝手に入ってきます。
 
・「0358にするといいよ」私に苦情を言われても困ります。苦情を言ってきた人(数人ですが)には、共通項がありました。それは、「お金がふえないじゃないか」と苦情を言ってきたことでした。
 
・宇宙は、――――うれしがる人にはうれしがることを
楽しがる人には楽しいことを
おもしろがる人にはおもしろがることを
幸せがる人には幸せなことを
感謝する人には感謝したくなることをどんどん降らせる
 
という大法則です。
 
・私の辞書の中には「努力」も「がんばり」も「必死」もありません(ちなみに「必死」とは「必ず死ぬ」と書きます)。自らの努力やがんばりはしませんが、基本的に「頼まれごと」は引き受ける。
 
・「用事が入った」のではなく、「入れてしまった」のです。要望どおりの日程で友人が自分のために設定してくれたのに、「用事を入れてしまった」のでした。おもしろいことに、「この日でなければダメ」と言う人ほど、「用事が入った」(用事を入れてしまった)という傾向が強いようです。「その日」を主張した人ほど、来ない。
 
・私が言っているのは、自分がどのように生きるか、ということにほかなりません。自分が明るく、笑顔に満ちて、感謝に満ちて楽しそうに生きること。それが、結果的に周囲の人や家族をも笑顔にして、明るく楽しい人にするかもしれない。けれども、相手を変えなければいけないと主張しているのではないのです。
 
・お互いにプレゼントをし合う。出すお金は結果的に同じなのですが、自分のための土産を自分のお金で買うというパターンではなくて、隣にいる人にお金を出してもらって、自分にそのお土産をプレゼントしてもらったという構図が出来上がります。そして、私の出す1000円も、自分のものを買ったのではなくて、隣の人のものを買ってプレゼントしたという形になります。
 
・こういう形をお互いにし合いながら、お土産を買っていくと、すべてのお土産に、だれかから買ってもらった、プレゼントをしてもらった、という記憶が付いてきます。お土産というのは、そのときの空気や雰囲気を思い出すために買うというのが多いので、お土産自体を楽しむというよりは、そのときの空気を、雰囲気を思い出すために買っているんだと思ってみてください。そうしたとき、楽しい仲間と、楽しいプレゼントのし合い、プレゼント合戦というものがあると、一つひとつがより輝いて楽しいものに見えてきます。
 
・「もの」にも心があるのかもしれません。自分を大事にしてくれる人に「迷惑をかけない」だけではなくて、もっと積極的に「味方をしてあげたい」のかもしれません 。「もの」にもきっと心があるのです。
 
・「天才とは量である」とは、私が把握した宇宙法則の一つ。美空ひばりさんが吹き込んだ歌の総数、約1500。1年に約40曲です。1カ月に3・3曲、約10日に1曲。それを40年続けて 1500曲になりました。漫画家の手塚治虫さんが描いた漫画のページ数が、10万ページ。小学生から60歳で亡くなるまで、50年描き続けました。1年2000ページ。365日で割ると、1日約6ページ。これは1日の休みもなく描き続けた場合の数字です。出かける日も、テレビに出演する日もありました。社員と打ち合わせの時間も必要でした。ですから、そういう時間を除けば、1日10ページ以上も描いていたでしょう。1ページ描くのに1時間としても、1日10時間です。
 
・「好きなことは続けられる」=「プロにならなくてもいい」=「続く」=「周りからたくさん頼まれる」=「有料のものがふえる 」=「なんとか食べられるようになる」
 
・「 生前」という言葉があります。「生まれる前」と書きます。「生前、あのかたが使っていたものです」というような使い方をします。意味としては、「生きていたとき」「死ぬ前」ということです。常識に考えると、「死前」と書かなくてはいけないはずでした。似た言葉に「大往生」という言葉があります。「往生」は死ぬこと、「大往生」は「安らかに穏やかに死ぬこと」です。「往生」は、「生(の世界に)往く」と書きます。 これも、 も、本来なら、「往死」「死(の世界)に往く」と書くべきところでした。どうも、昔の人たちは、「あの世」があると思っていたようです。
 
・「誕生日」の「誕」という文字を調べてみると、おもいしろいことがわかります。「誕」は「生まれる」のほかに「いつわる」「いつわり」という意味があるのです。私たちの人生は「いつわりの人生」なのかもしれません。「本物ではない」「ほんとうではないんだ」ということでしょうか。
 
・人間関係には(家族であろうと恋人であろうと)、適当な距離が必要です。私はこれを「者間距離」と呼んでいるのですが、適正な「者間距離」があったほうがいいようです。「者間距離」を踏み込んでのケンカというのはありますが、「遠すぎるから」のケンカというのは起きにくいように思います。
 
・ 「名前」は、自分以外の人に「自分を覚えてもらう」ための大事な役割を持つのです。 人間関係の中で、初めて「名前」の価値があります。無人島では、どんな立派なすばらしい名前を持っていても意味がありません。自分を認識してもらう、自分を覚えてもらうための、とても大事な情報なのですから。それが、読めない、難しい漢字だとしたら。その「難しい漢字」の結果、「好運」や「ツキ」を呼び入れるどころか、逆にどんどん敵を作ってきたかもしれません。
 
・すべての絵画が、すべてヒーリングアートなのかもしれません。同時に、すべての音楽もヒーリングミュージックなのかもしれません。すべての彫刻や彫像、形として作られたものは、すべてが人々を癒してくれるものであるはずなのです。ですから、自分の絵がヒーリングアートなのだ、自分の絵が人を癒すための絵なのだと言っていること自体、大きな大きな勘違いであり、思い違いをしていると言わざるをえません。
 
・「祈り」も「願い」も、結局は「感謝」「お礼を言う」「ありがとう」ということにほかならない。
 
・過去の集積として、現在がある。ゆえに現在のその人を見ていれば、過去、 どのような生き方をしてきたのかが読み取れます。同様に、現在のその人を見ていれば、未来、どのような状況になるかというのも読み取れます。これは、因果の法則。このことがわかると、私たちは、全員、超能力者であり、ほかの人の過去を読み取ることができ、未来を読み取ることができるというわけです。
 
・現在は過去の積み重ねなのですが、過去、そのように生きてこなかった人も、 それを悔やむ必要はありません。未来は作り替えることができるからです(とは言っても、作り替えること自体が生まれる前から決まっていたことですが)。昨日まで不機嫌に生きてきた人は、今日から笑顔の多い人になる。穏やかに、にこやかに、周りの人から喜ばれるような生き方をしてゆく。そういうことを積み重ねていくことで、5年後、10年後の私自身の生活を作り上げることができるでしょう。
 
・人間としての最大の喜びは、自分の存在が喜ばれている、喜ばれるように生きるということなのです。
 
・優しさや温かさや思いやりというのもエネルギーになります。人が動くための力になります。お金というものもエネルギーの一つです。物を 動かしたり、人を動かしたりする力の一つです。
 
・人間がこの世に生まれてきたのは、すべて、何かの役割があって、 何かをするために、社会に参加するために、人の間で生きるために生まれてきたらしいのですが、逆に言うと、それを考える必要はないように思います。
 
自分がやるはめになったことを、つべこべ言わず、あれこれ言わず、評価論評せず、好きだ嫌いだを言わずに行う。今言った「好き嫌い」や「不平不満」といったことは、自我という名のコップに相当します。そういうものを0にすればするほど、池の水が手に入り、大きな湖の水が手に入り、ひいては、海の水が全部自分のものになる、自分が海の水と同化するということになります。
 
・同じエネルギーを使ってものを探すにしても、手に入っていないものを探すより、手に入っている、恵まれていると思われるものを挙げていくほうがはるかに楽しくて、幸せであることに気がつきます。こちらのほうの幸せ論も、もう一つあることに私は気づきました。すでに手に入って恵まれているもの。例えば、目が見えること。これはあたりまえではありません。
 
・世の中には、目が見えない人がたくさんいます。目が見えることはあたりまえのことではなく、ものすごくありがたいことなのです。ただそれに気がついていないので、目が見える人は、目が見えることに感謝をほとんどしません。耳が聞こえることがあたりまえだと思っている人は、耳が聞こえることに感謝をしません。耳が聞こえない人は、世の中にたくさんいるのですが、聞こえている人ほど、聞こえることに感謝をしないのです。これが、日本の社会全体を覆っている幸せ論です。
 
・すべてのことはすばらしくありがたいことなのだ、と気がついたら、そこには山ほど幸せが転がっています。どれほど数えても数え切れないほど幸せが転がっています。これが宇宙の仕組みとしての幸せ論。幸せというのは足りないものを挙げ連ねて、それを手に入れるものというふうに思っていてもかまわないのですが、もう一つの、すでに自分がいただいているものに気がつき、それに幸せを感じ感謝をすること。そこに、膨大なる幸せと膨大なる感謝の世界が広がっています。
 
 

さあ、幸せのタネを撒いていこう。因果の法則に従おう。超オススメです。(=^・^=)