「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「快人エジソン 奇才は21世紀に甦る」(浜田和幸)

今年は、例年よりも良い本に出会ったなあ!!!座右の書ともいうべき傑作が多い、多すぎるっ!!!この本もそう。すべてのページに感動して、魂を揺さぶるっ!!!!
 
そういえば、エジソンってあまり有名すぎて生涯のことを知らなかったっ!!だって日本人との関係なんて知ってた!?そのエッセンスを紹介しよう。
 
 
・アメリカではエジソンが残した膨大な資料の解析が、一国家プロジェクトとして1978年から始められ、その完成は早くても2015年だろうと言われている。世紀の大発明家が構想を温めていたアイディアや技術の中には、時代を経て初めてその意味が判明したようなものや、現在でも皆目見当がつかないものまであり、実に多種多様と言われる。
 
特に、晩年、その開発に精力的に取り組み、理論的な枠組みはすでに完成させた、と本人が述べている「人間の霊と通信する機械」をはじめガン細胞の破壊法など、われわれの常識を超えた発想や実験メモが随所に見られる。
 
・当時から、「発明界のナポレオン」「メンローパーク(研究所のあった地名)の魔術師」 と異名をとるなど、奇抜な自己宣伝をちと他向が強く、本当のエジソン像が見えにくくなっていたのは事実であろう。そのため、アメリカでも、日本でも、エジソンは誤解されることはあっても、その実像がきちんと理解されることは全くといっていいほどなかった。
 
先生に無能呼ばわりされたことに腹を立て、小学校を数カ月で退学し、その後は母とともに自宅で勉強した。あるいは、自分の作った新聞を汽車の中で売りながら資金を稼ぎ、 実験を繰り返した、というような、特異な生い立ちにともなうエピソードや、発明家としての実験三昧の生活のみにスポットが当てられてきた。
 
その結果、過去の伝記では、彼が『武士道』に代表される日本の歴史や文化に対して並々ならぬ関心を抱いており、最愛の妻マイナからは「仕事熱心な日本の手品師」と呼ばれていたことや、有名無名を問わず、多くの日本人と交流していたことなど、一度も紹介されることはなかった。
 
それどころか、日本人の教育的配慮や価値観に合わせるために、歪められたエジソン像が定着してしまった、と言わざるを得ないことまである。
 
・本書では、実際にエジソンゆかりの地を訪ね、彼の書き残した日記や、彼のことを直接知っている人々から聞いた話を基にして、過去の世界に住む「伝記上の偉人」ではなく、 今を生きる「未来への水先案内人」としてのエジソンを取り上げた。その偉業の裏にひそむ、深い思索や苦悩に焦点を当て、エジソンがわれわれ現代人に送り続けている挑戦的メッセージを紹介することに努めた。
 
・エジソンは糖尿病だったのだが、そのことをバローズが問うと「医者の言うことを鵜呑吞みにしてはいくら身体があっても足らないよ。自分は化学に詳しいから 、薬のことは医者よりよく知っている。身体に最もいいのは、こういった自然の中でもりもり好きな物を食べ、楽しく過ごすことさ」と言ってのけたという。薬などに頼らず、有毒なバクテリアを殺すには自分流の食事療法が最適だとエジソンは考えていたのである。。
 
・キャンプ生活でけっさくなのは、嵐や大雨、霜が降ったりという大自然の変化に対してエジソンがとった態度である。他の仲間たちは皆近隣のホテルに宿をとって避難し、身の安全を図った。しかし、エジソンだけは断固として、それを拒否し、テントの中で嵐を迎える方を選ぶのである。彼は風呂に入らずとも平気だし、頭を洗ったり、髭をそらずとも一向に気にしない。耳が聞こえないことが幸いしたのか、雷がこようが雹が降ろうがテントの中でぐっすり眠ることができた。逆に、それができない仲間たちを「きれい好きな都会育ちのボンボン」と、からかっていた。
 
・何しろ、彼は十二歳の頃から、新聞や雑誌で読んだユーモア話を手帳に記録し続け、ため込んでいたのだから、年季が入っている。その頃の手帳には、几帳面な字でジョークのネタがびっしり書かれている。いずれにせよエジソンは類まれなる速読家であった。十五歳の時、デトロイト公共図書館の本をすべて読破したという。「十三歳で耳が全く不自由になってしまったからこそ、 子供には難解な文学作品や化学や物理の技術書までも集中して読めたのだ」とは、後に本人が語っている通りかもしれない。
 

 
・しかし、エジソンはその後も仕事を続けるのが常であった。疲れるとベンチの上でも、床の上でもごろりと横になり仮眠をとる。だいたい一、二時間で起きてきては、また疲れるまで実験を続けるという生活であった。エジソンに言わせると「自分は耳が聞こえないから幸運だ。雑音に惑わされることなく考えることができるし 、いつでも静かな環境でることができるからね」。彼のこのようなユーモアの中にも、ハンディキャップを味方に変える強靭な意志の力を感じとることができる。
 
 
・膨大な資料の本格的な研究が始まった。もちろんアメリカでも、彼の伝記や研究書は百冊以上出版されているが、いずれもエジソンの実像を伝えきれていない。いわんや、日本で翻訳されたり、書かれたりしているエジソン像は、この世紀の偉人のほんの一面を紹介しているにすぎない。そこで、従来には知られていない、エジソンの意外な人間性や超人性などに迫ってみたいと思う。
 
・エジソンは多くの研究者に先駆け、蓄音機や電灯、映画などを次々に発明していったのだが、今日のカラー写真、太陽電池、コピーやファクシミリから宇宙船、はたまた睡眠増進機や「音に色をつける第七感」の研究もすでに進めていたのには、改めて驚かされる。彼は超多忙な実験生活の合間、毎日三冊は古今東西の本を読破するという超読書家でもあった。何しろ、彼の本の買い方は、ニューヨークにあるブレンターノという書店に開き、棚ごと買い占めるというスタイルなのである。そのため、たちまち数万冊の蔵書に囲まれることになった。
 
・つまり、新しい発明や発見はすでに自然や宇宙から与えられて存在している恵みを、いかにわれわれが謙虚に引き出すことができるか、ということを意味するからである。 晩年になると、エジソンは若い頃から関心を寄せていた死後の世界にも、熱心な究明活動に取り組むようになった。その探究の過程で彼に大きな影響を与えたのは、十七世紀にたヴィルヘルム・フォン・ライプニッツである。この哲学者兼数学者兼政治家による宇宙とは無数の意識の固まり、または精神的エネルギーによって構成されている」という。エジソンはその考えに共鳴し、肉体の死後、人のエネルギーはどこに行くのか思いを巡らすようになる。
 
当時、多くの人々の関心を呼んでいたのは、化学、電気、磁力といった自然の中に隠された力が、互いにどのように影響を及ぼし合っているか、ということだった。こういう議論の主流を占めていたのが、「宇宙のエネルギーは不変である」という考えである。
 
 
・彼女が主宰する霊界との交信セミナーに出席し意見交換を重ねるうちに、エジソン「自分は千を超える発明をし、世界の発明王などと言われているが、実際は、自分が発明したのではなく、宇宙という大きな存在からメッセージを受け取り、自分なりの記録をとったにすぎない。つまり、自分自身が自然界からのメッセージの受信機であった」と言う。
 
・「身の回りの生物や物質の構造を研究すればするほど、これらはあらかじめ計算されて作られているとしか思えなくなりました。私自身も、これらのより大きな力によって動かされて、数多くの発明を成し遂げることができたにすぎないのです」
 
・「人間、自然界すべての現象は、われわれの思いもよらぬはるかに大きな未知の知性によば不可能ではない」
 
「それ(ひらめきの結果)は赤ん坊の頭脳の中に天才を見いだしたことだ。生まれたての頭脳ほどリトル・ピープルにとって住みやすい場所はない。つまり、年が若いほど、自分の脳に宿っているリトル・ピープルの声に素直に耳を傾けることができるのである。大人になってからでは至難の業になるが、それでも何とか一パーセントのひらめきと九九パーセントの努力があれば大丈夫。
 
・発明起業家エジソンの成功の秘訣は何だったのであろうか。電信技師であった青年時代には、列車事故を引き起こしたかどで逃亡者の生活を余儀なくされる。女性に対しては決して声をかけられないほどの内気な性格の持ち主。高等教育を受けていないため、当時の大学や学界からは見下されっぱなし。耳が聞こえないだけではなく、人生のスタート時点で、これほどハンディを背負った人物も珍しい。
 
しかし、エジソンには他人に負けない「思い込みの強さ」と「失敗にへこたれない忍耐力」という武器があった。自らの「ひらめき(インスピレーション)」を信じ、周りの人間が皆反対しても、具体的な製品という形に仕上げるまで「汗を流し(パースピレーション)」続けた。
 
・エジソンは「成功の秘訣は」と問われると、「野心、創造力、昼夜を問わず働く意思さえあれば、誰でも成功できる」と答えるのが常であった。創造力や努力は、日本人にも馴染みやすいが、「野心」というのは意外な感じがする。しかし、この「野心」がエジソンの創造活動の原動力であったことは間違いなさそうである。
 
・彼は幼い頃から、日記帳を手放さないメモ魔であった。彼が残したメモの類は五百万枚という膨大な量で、その整理・分類・解析が国家プロジェクトとして1978年から始まったが、その完成は早くて2015年と言われるほど。世紀の大発明家が構想を温めていたアイディアや技術開発のヒントには、時代を経て初めてその意味が判明したり、現在でも皆目見当がつかないものまであり、実に興味深い。
 
・最も感心させられたのは、エジソン少年が「この日記を書き残す決心をしたのは、将来、自分の名前を冠した博物館や記念館にできた時、展示品が足らないと困るから」と書いている部分であった。十代前半で、五十年後の自らの姿を具体的に想像しているのである。これを「野心」といわず、何というのであろうか。
 
 
・「自分は毎日十八時間働くことにしている。普通の人の倍である。今、自分は四十五歳だが、普通の人の九十歳分に相当する仕事をこなしてきたといえる。しかも、若い時、二十年分は余分に働いてきたので、一般的にいうと、すでに百十歳くらいにあたる。今のペースであと二十年は働けると思うので、トータルでは百五十歳くらいまで働いたといえるだろう。これだけ働けば、人の倍成功しても当たり前だと思う。自分が一日に十八時間も働ける理由は、とにかく食べる量と眠る時間を少なくしているからである。また、血液の流れを阻害しないために身体をしめつけるような服装はしないことにしている」
 
・もう一つの成功の秘訣は、「くよくよ悩まないこと」であった。そのためには、悩みが入り込む余地を残さないことである。つまり、非生産的なことに思い煩ったりする時間を作らないよう努めることが大切であるとして、身体のみならず心もうまくコントロールすることが大変重要だと考えていた。この楽天的な性格から、次々と新しい発明のアイディアが生まれてきたのである。エジソンは若い時からメモ魔であった。ジョークのネタの話はすでに紹介したが、それ以外に食事の最中や会話の途中、あるいは寝ている夢の中などで、湧き上がってくる考えを、その場でせっせとメモしていた。積もり積もって大学ノートで三千五百冊にもなっている。それ以外の手紙や走り書きの類を入れると更に膨大な量になる。
 
・エジソン自身が三千五百冊に及ぶ克明な日記や実験メモを残しており、それを羅針盤にして、歴史学者らで構成する専門家集団が五百万ページの文献の整理と分類に日夜取り組んでいるのである。このプロジェクト・チームのメンバーに言わせると、「エジソンはレオナルド・ダ・ヴィンチに匹敵するような、超人的で創造性溢れる研究を行っていたことがよく分かる」とのこと。「しかし、残念なことに、われわれの常識をはるかに超えた内容のため、理解できないことも多い。さしずめ、自分たちはエジソンの脳の中に入り込んだスパイのような感じで、彼の考えていたことを探っている段階である」と述べている。
 
・「困難な苦しい時、自分は気分を変えることに努めた。そして、困ったことから念を外すためにも、人一倍働いた。悩みの解決には、仕事が一番の薬であった。決して 、お酒では問題は解決できない」
 
・耳が不自由であることのメリットは多い。仕事の上では、口約束や耳約東ができないため、必ず書面で契約を結ぶことにした。これによって、不必要な問題から解放されることがしばしばあった。また、プライベートな面では、婚約者を口説く時に 普通より相手のそばに近づくことができた。結婚してからは、嫌なことを聞かなくてもすんだと思われる。
 
・「エジソンほど無駄な努力を嫌がっていた人もいない。対面している相手の話がつまらないと思うと、その場で昼寝をしてしまう。大切なエネルギーを浪費してはならない 」というわけである。研究に関係のない式典とか夕食会などには決して顔を出さない。
 
・岡部芳郎はその後、一九一四年(大正三年)、エジソンの発明したキネマフォンの日本での販売権をもらって帰国する。そして、日本最初のトーキーである松井須磨子のカチューシャを映写上映したとされる。岡部はアメリカを去るにあたり、エジソンからさまざまな発明品を譲り受けた。その多くは、神戸に住む子息の岡部多栄彦のもとにあったが、エジソンゆかりの竹の産地である京都府八幡市で「エジソン保存会」を主宰する竹筆製作家の立本三郎へ譲り渡されている。
 
・エジソンの身近に岡部青年のような日本人がいたことも、エジソンの日本に対する興味と関心を深めることになったはずである。晩年期のエジソンは岡部に向かって、「人類にとって最も大切な友人は太陽で育った植物だ」と、繰り返し語っていたという。太陽の恵みで生きる木や草や花に人間と同じような感情を抱いていたエジソンが、それを日本の青年に語って聞かせたのは興味深いことである。
 
・星新一は自らその思い出を語っている。「わたしの家には、エジソンの写真があります。亡くなった、わたしの父が、昔、アメリカに行った時、友達の野口英世に連れられて、エジソンに会いました。その時にもらったものです。それには、エジソンのサインと英語でこんな言葉が書いてあります 。
 
『成功しない人がいたとしたら、それは考えることと、努力すること、この二つをやらないからではないだろうか』」
 
・「われわれはこの世に存在するものの真のパワーを全くといっていいほど理解していない。われわれが知っているつもりのことでも、本当は一パーセントの一千万分の一もわかっていないのである。これからの機械文明を生きるには、心を進化させることが必要だ。 人間はあらゆる存在からパワーを感じることができるようにならねばならない。そうすれば、宇宙のエネルギーは不変であり、人間の魂はもちろん、すべての存在は結びついていることがわかるようになるだろう。例えば、わたしの発明はすべて宇宙という『マスター・マインド』からのメッセージを受け止め、練り上げただけなのだ」
 
金子堅太郎も渋沢栄一も、「真珠王」御木本幸吉も、野口英世も星一も、岡部芳郎も、エジソンのいう「努力と思考」を成功へのキーワードとしていたようだ。さらに言えば、日本人としての品性を大切にしつつ、エジソンと心を共鳴させながら、世界を相手に挑戦的な人生の足跡を残したといえる。彼らは宇宙や世界を視野に置きながら、自らの青神を高めた。
 
 
その他、「アホイ」対「ハロー」の勝負(グラハム・ベル対エジソン)「常にゼロからスタートできる男」「居眠りする連中には厳罰=死体復活マシーン」「フケは能力のバロメーター(ビル・ゲイツも)」「シーツの上で眠ったことがないほど連続の徹夜に耐える男」「百貨店を隅から隅まで読破」「エジソンの「使いものにならない」=発想が保守的で、臆病になる」「蓄音機の歯型」「伝統に使われた京都の竹の真実」「エジソンと出会った日本人たち=22歳の岡部芳郎」「御木本幸吉、野口英世、星一」などなど。
 
 
スゴイなあ……勇気づけられるなあ……。エジソン、スゴイっ!!!!フセンだらけになってしまった!超オススメです。(=^・^=)