「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「不可能を可能にする大谷翔平120の思考」(秦まゆな)

初版が、2017年2月だからもう8年前だね。この頃からスーパースター、大谷翔平の凄さは変わらないどころか、更に進化しているっ!!!こんな本があったとは知らなかったっ!!!貴重じゃない!?

 

なぜ、大谷翔平は『不可能』を『可能』となしえたのか?その鍵は、大谷が培ってきた彼の一流の思考にある。挫折と向き合うこと、自分を信じ切ること、孤独を恐れないこと、 謙虚でありつづけること、そして夢を描き続けること…… 。大谷の思考のひとつひとつが今日のワールドクラスの“二刀流"を育んだのである。本書は、そんな大谷思考を彼自身の言葉で浮き彫りにした語録集」そのエッセンスを紹介しよう。

 
スーパースターは不可能を可能にする。ファイターズ・大谷翔平は、プロ野球史上でも稀な「二刀流」に挑戦し、投打ともに結 果を出し、スターへの階段を駆け上がっている。グラウンドではひときわ華のある選手。プレーは「日本初」「プロ野球史上最速」という派手なフレーズで表現されるが、本人は穏やかな言葉遣いを貫く。大谷が口にする言葉 は、自身の内面を掘り下げて歩んできた「思考力」で構築されているからだ。
 
挑戦、苦悩、向上心、素顔、克己心、哲学。若きスターの「思考」はスポーツ界のみならず、無限の可能性を秘めた子どもの導き方から、仕事への取り組み方まで様々な人生に 反映出来るヒントがちりばめられている。毎日の小さな決断、人生の大きな目標について、いかに考え、取り組むべきか。考えが 変われば行動が変わり、その積み重ねが運命の変化をもたらす。不可能を可能にする大谷 の「思考」は、私たちの日常にも進むべき光を与えてくれる。
 
・「誰もやったことがないことをやりたい。 という気持ちがすごくあります。高校時代からずっと前人未到を成し速げてきた、岩手・花札では3年夏の準決勝の一 戦で、アマチュア野球史上最速160キロをマーク、プロ入り後も「史上初」の連続だ、プロ初登板の2013年5月23日ヤクルト戦(札幌ドーム)は新人初登板で 松坂大輔(当時西武、ソフトバンク)の155キロを上る157キロ、年産目 ソフトバンク戦(札幌ドーム)ではついに165キロ。そして、打者としても開花した2016年は、役打にわたる「10勝、100安打、30本塁打に到達し、ベストナインは投手、 教名打者の2部門ダブル受賞。いずれも日本プロ野球史上初の快挙だった。
 
投手の方が自信あります。勝った時は一番注目されますし長所を活かすには投手かなと。「投手・大谷」がドラフト候補として注目を浴びる中、当時は各球団から「打者」としての評価が高かった。高3で迎えた2012年、18U世界選手権。第1戦のカナダ戦で「4 毎・投手」で先発した大谷は3回で降板。5位決定戦は7回2失点も、韓国に敗れた。 一方、同選手権は国際大会のため木製バットを使用。センバツ出場時は、当時大阪桐蔭藤浪晋太郎阪神)から本塁打を放つ実力の持ち主ではあったが、木製バットで打率3 割をマークし、チーム最多打点を飾ったのだ。金属から木製への順応性が高かったことから、一気に打者としての注目度がアップした。当時は「複雑ですね。バッティングがここまで良くなると思っていなかったので」とし ていたが、結果を出している投手、潜在能力を買われた打者の兼務でプロ入り。現在の大谷は投打兼務が当たり前になりつつあるが、もともとは投手として身を立てるつもりだった。自分の評価と他人の評価。両方に聞く耳を持てば、可能性は広がる。
 
世界の歴史に残るような記録を作りたい。当時は、岩手県の一高校生が抱いた壮大な夢。しかし、大谷は周囲に、もしかしたら、 という可能性を抱かせる存在だった。高校当時からメジャー行きを熱望し、夢見るだけでなく、その後の目標を設定していた。 「まずは、日本人最多勝利。それと、日本人は米国では殿堂入りしていないですよね」と 殿堂入りもリサーチ済み。さらに、その道程は具体的だ。イチロー選手は(殿堂に)入ると思うので、ピッチャーとして最初になりたい。(殿堂入りには) メジャーで最低16年はやらないといけないので、30歳近くになってからでは遅いと思います」と長期的展望まで見通していた。プロ4年目にして、日本の球速最速記録165キロをマーク。さらには、世界最速の169キロ更新について「あと4キロ。一番速い球を投げられるのなら投げてみたい」と意欲を見せた。壮大な夢は、正しい努力を続ければ、いつか現実になる。
 
160キロを目標にした時、出来ないと決めつけられたら終わりだと思って、3年間やってきました。もちろん、目標を立てたからといって、全てが可能となるわけではない。夢破れて去る者もいる。志半ばで諦める人もいる。共通して言えることは、夢を描かなければそれに近づくことは出来ないということだ。高校時代に160キロを目標に掲げた時も、自分では当初150キロに設定していた。 さらに上の数字を目指すべき、としたのは岩手・花巻東佐々木洋監督だった。少年時代から、スポーツを教われば飲み込みが早く、「もっとうまくなりたい」と熱中。持って生まれた素養の上に、本人が積み重ねた努力があってこそ目標を達成することが出来た。「出来ないと決めつけるのは嫌でした。ピッチャーが出来ない、バッターが出来ないと考えるのも本当は嫌だった。最後に160キロを投げられたのは自信になったと思います」二刀流ならではの調整、練習量、メンタルの整え方。手探りの中で、支えになったものは、目標の種類は違っても、過去の自分が築き上げた自信だった。
 
メンタルを切り替えるためのきっかけを常に求めている部分はあるかもしれません。外出禁止令が気にならなかったほどのインドア派。以前から読書の習慣もあり、小説、ビジネス書から漫画まで幅広く愛読している。2016年オフに引退した黒田博樹『クオリティピッチング』栗山英樹監督の『未徹在』など球界関係者の著書を 請んたほか、小説、トレーニング本、車椅子バスケットボールの漫画などなど。湿気をものともせず、お風呂に入りながら読むこともある。
 
・大谷は自身を「マイナス思考」と分析する。「良かった試合より、失敗してしまった試合の方が心に残るんです。もう少し、こう出来たんじゃないか。もっとこうやれば良かったとか」読書は心の財産。本、映画など野球以外の様々なジャンルに接しながら、迷いから脱出する方法を模索する。
 
技術も筋力がないと出来ません。 僕にはより必要になるんです。ダンプカーの排気量は大きく、軽自動車は小さい。つまり、そういうことなのだ。 巨大なボディーを乗り回すには、それなりのパワーが必要となる。大谷が持って生まれた身長193センチの体格を思い通りに操るには、体に見合う筋力 をつけることが重要だった。2015年オフ、ファイターズの先輩・ダルビッシュ有(レンジャース)に倣い、食事、 筋力トレーニングを工夫して体重を100キロの大台に乗せた。「もうひとつ高いパフォーマンスを探したかった。パワーはもちろん、技術も体重が増え ないと出来ない技術がある。動きやスタミナは前と変わらないです」疲労の蓄積でシーズン中盤からパフォーマンスが落ちる点の克服、そして理想のフォー ムに到達するには筋力の必要性を感じていた。体重増で膝のケアに気を配ることも必要と なるが、自分には何が足りないのかを常に模索する姿勢も挑戦へつながる。
 
走塁には一番、野球観が出る。野球のレベルが上がるにつれ、最も判断が難しいとされるのが走塁だ。プロの打球の速さ、そして相手守備陣の位置、力量を全て加味した上で、一瞬のうちに スタートを切るか、とどまるかを決断しなければならない。「プロの打球判断が難しい中、ゲームで特別いい走塁をするのは難しい」。そんな走塁にあって、球界では特別俊足とは呼べない大谷が足が速くなっている」という。2015年からオフ中に徹底したウエートトレーニングによる増量を図り、オフは100キロ、シ ーズン前に90キロ台後半まで絞り上げている。体重が増えると足が遅くなると思いがちだ が、鍛え上げた筋肉の力を効率的にプレーへ昇華させる体の使い方も同時に身に付けた。天賦の才があっても、日々のダッシュ練習をおろそかにすると、年々走塁面での衰えが 顕著になるという。天から与えられた恵まれた体格。それを攻守二物だけでなく、三物に 増やすことも、自分の意識が鍵を握っている。
 
栗山英樹監督も「自分自身との約束は絶対に守らなくてはいけない」という信念がある。 2016年春季キャンプ中、開幕投手を言い渡された際に、指揮官から手紙を書くよう求められ、日本一になることを自分自身と約束するように促された。約束通り日本一に輝き、オフにはベストナインを「投手」「DH」で史上初の投打ダブ ル受賞。表彰式では、今の自分にかける言葉を聞かれて強いて挙げるなら、前半から頑張れ」ですかね(笑)」。ジョークではあるが、これもまた自身との約束になる。
 
野球が好きで、うまくなりたい一心でやっているのが野球少年なら僕は昔からそういうところは変わりません。まずは試してみる。何も生まれなかったらやめて、また元の道から始めればいいのだ。どうしたらもっと遠くへ、もっと速くなるのか。大谷は幼少時から野球について、それ だけを考えてきた。「例えば打てなくても、どうすれば打てるようになるのかなと考えて、何かを思いついて、 じゃあ、やってみようってグラウンドに行く。その一歩目が楽しいんです」水沢リトル時代は打球を飛ばし過ぎ、次々と川にボールが飛び込まないよう『翔平ネット』が父兄の手で作られたほど。「引っ張り禁止令」が出され、逆方向へ強い打球を打つ 基盤が作られた。投手としてはプロ野球選手の物真似をしながら、高い技術を体にしみ込ませてきた。プロ入り後は体重を100キロの大台に乗せ、フォームの微調整、球種の改 良などに取り組んできた。大人になっても、心は野球少年。純粋さは変わらない
 
・打撃は今江さんの真似をしていました。投球は松坂さん、斉藤和巳さん ダルビッシュさんの真似をしていました。
 
他人がポイッて捨てた運を拾っているんです。経営者であれ、スポーツ選手であれ、究極までやり尽くそうとすると、掃除に向かう傾 向が強い。愛知県のカレーショップを全国チェーンに育てたカレーハウスCoCo壱番屋の創業者・宗次德二氏は現在、名古屋の大通りを毎朝掃除している。逆に言えば、掃除をおろそかにする一流はいない。大谷は高校時代から、当時の目標「160キロ」「8球団からドラフト1位」にたどり着くために必要な要素として「ゴミ拾い」を挙げていた。プロ入り後は、2014年に引退した稲葉篤紀氏が手本になった。稲葉さんが試合中、 守備から戻ってくるベンチの前で、ゴミをサッと拾ったことがあったんですけど、カッコ 良くて感動しました。僕は、前を通り過ぎてから(ゴミに)呼ばれてる気がして、戻って拾う。お前はそれでいいのかって、後ろからトントンされちゃうタイプなんです」。技だけが優れていても、一流にはなれない。ちっぽけなゴミひとつにも人生観が反映される。
 
食事内容はどこにいっても変わりません。 トレーニングの内容も変えたくありません。日本一になったら束の間、ゆっくりと羽を伸ばしてリフレッシュ。と思うのは、周囲だけだった。2016年の優勝旅行先は米ハワイ。公に認められた1週間の休暇でもあるが、大谷はハワイでもトレーニングを計画していた。「そんなに満喫ということはないと思います。例年以上にない時間をどう充てるかも大事です」この旅行中も行事の合間を縫って自主練習に精を出し、帰国前夜に開催された球団主催 のパーティー後もウエートトレーニングで締めたという。前シーズンよりも、野球がうまくなりたい。その一心で逆算すると、羽を伸ばしている時間はないと判断したのだ。元巨人の背番号8、高田繁DeNAゼネラルマネジャーは現役時代から怠惰を嫌い「好きな時間に寝て、好きなだけ食べてるようでは」と話したことがある。大谷もまた、怠惰 とは無縁。最優先はコンディション作り。余った時間だけが、文字通りの余暇だ。
 
出来るか出来ないかよりも 誰もやっていないことをやってみたい。たどり着いた時、どんな景色が待っているのか。大谷について回る“前人未踏。プロ野球の記録だけでなく、将来的に「宇宙へ行ってみたい」というあたりは、筋金入りのパ イオニア魂の持ち主だ。「出来るか」「出来ないか」の問いは、自分の限界を勝手に設定した脳内議論だが、「誰もやっていないことをやりたい」という希望は、たとえこの瞬間は出来なくても、いつか出 来るようにするという前向きな思いにあふれている。いずれ、メジャーに挑戦する日がやってくる。「もし、その時に投手と打者のどちらかに絞ったとしても、今やっていることは必ず生きてくると思います。人と違うことをやってきて、そこに至った時、どうなるのか」米国でもまた、「誰もやっていないこと」を目標にするだろう。尻込みせず、むしろ変化を好む。壮大な夢を追いかける人は、いつの時代も変化を恐れない。
 
先入観は可能を不可能にする。高校時代に「好きな言葉」として挙げたフレーズだ。これは伝説のボクサー、故・モハメド・アリ氏による名言の一説「不可能とは、自力で 世界を切り開くことを放棄した臆病者の言葉だ。不可能とは、現状に甘んじるための言い訳にすぎない。不可能とは、事実ですらなく単なる先入観だ・・・・・・」と共通する。大谷にとっては、岩手・花巻東時代の指導者・佐々木洋監督に伝授された言葉だという。「150キロを投げたかったんですけれど、160キロを目標にしようと言われて、最初は無理なんじゃないかと思いました。でも、やっていくうちに手応えを感じるようになっ てきて、そのうち出来るんじゃないかなと思うようになりました自分で無理だと思ったら、出来なかった。最初から出来ないと決めつけるのはやめようと思いました」アリ氏の名言には続きがある。「不可能とは可能性だ」未知の領域に挑戦し続ける大谷 は、それを体現している。
 
僕がどういう選手になるのかは 自分で決めることだと思います。生まれてこの方、自分で立てた目標に立ち向かってきた。それが当たり前だった。 だから、どう生きるかは自分自身で決める。周りに流されない大谷には、確固たる意志がある。ファイターズから当初、二刀流を提案された時は「疑うわけじゃないですけれど」と冗談めかしつつ、「このまま打者になっ てしまうのでは」と懸念も抱いたという。I have a dream 故・キング牧師の名言のように、大谷の心には夢がある。「どういう選手になりたいのかと言われたら、毎回試合に出て、大事なところで打てる選手。任された試合には負けないピッチングが出来る選手。チームの柱として頑張ってる自 分を想像するのはすごく大事なことかなと思います」
 
自分がどこまで出来るかということに関しては制限はいりません。きっと、ダメだろうな。大きな問題を抱えた時、頭をよぎるのは諦めから来る先入観。それは、わざわざダメにする努力を始めることとあまり変わりはない。二刀流を提案された時、大谷は素晴らしいプランとして受け取った。どちらかを諦めるのではなく、両方とも挑戦出来る、と。業界の常識はさておき、自分はどうしたいのか、何を為したいのかが一番重要だ。「憶測だけで制限をかけてしまうのは無駄なことだと思います子どもは『プロ野球選手になりたいです、って言うじゃないですか。子どもはそういう制限はかけないのかなと思います。周りの大人たちの前で、声を張って言える子どもが実際、プロ野球選手になって いるんだと思います」ダメだろう、ではなく、何とかするという強い意志。それがあれば、たとえゴールまでたどり着かなくても、ゴールの近くまでは行けるのだ。
 
僕は、もっともっと、出来ると思います。誰よりも、自分が自分に期待している。その期待を裏切りたくないからこそ、走り続けることが出来る。年々積み上がる努力と経験。プロ4年目の2016年を振り返り、大谷は言った。「個人的には満足していません。全体的な取り組みも、 結果もそうです。もうちょっと出来たんじゃないかと思う。もっとやらないといけない」。理想が高ければ高いほど、苦しみは大きい。「日本一の取り組み」を目指すだけに「納得いかないことはたくさんあります。練習しかない」とさらなる修業を積むつもりだ。 2017年オフ以降には、メジャーへ挑戦する可能性もある。「昔から行きたいのは変わらないです。“いつかやってみたい。結果を残したい”という 思いでやってきました」。海を渡る時期はきっと、自分との対話で決めるのだろう。大谷 の「もっともっと」をこれからも長く、見続けられる我々は幸せだ。
 

いいねえ。我々は、大谷と同じ時代を生きてこられて幸せだね。超オススメです。