「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「安売り王一代 私の「ドン・キホーテ」人生」(安田隆夫)

 

2年前、9ヶ月間福岡の天神のマンスリーマンションに住んでいた。天神駅から数分、今泉のドン・キホーテの裏のラブホテル街。必然的に毎日、ドン・キホーテに立ち寄ることになる。めっちゃ便利!普通のスーパーと違ってオモシロイし、楽しいし、安いし、いろんな発見がある。

また10年くらい前に全国の「MEGAドン・キホーテ」の揚げ物売り場に、ワタシの映像が流れていたこともあった。自分の映像が流れている映像を自分で観るという経験ってあまりないよね。(笑)

 

さてこの本、いろいろとお世話になっているドンキの創業者、安田隆夫さんの自叙伝的な本。これがスゴイっ!!!オモシロイ!!!感動の連続っ!!!

「26期連続増収増益という前代未聞の偉業を成し遂げたドン・キホーテ。だが、創業者、安田隆夫の人生はまさに失敗と苦難の連続だった。「逆張り」「権限委譲」「夜の市場」をキーワードにのし上がった男の波乱万丈の一代記」そのエッセンスを紹介しよう。

 

・ドンキも私の人生も、今まで順風満帆で来たように見えるかもしれない。 しかし実態は全くその逆である。若い頃の私は何をやってもうまくいかず、つねに悶々とした思いにさいなまれていた。学校になじめず、社会に出てからも組織に適応できない。カネもなく、女性にもモテない。 大きなことを成し遂げたい。でも、自分には何もないし何をしたらいいのかもわからない。 いわば、心に抱え込んだ「内圧」の高さを持て余していたのだ。
 
・とりわけ大学卒業後に就職した会社が倒産してから「泥棒市場」を創業するまでの約五年間は定職にもつかず、ギャンブルで食いつなぐような放浪と無頼の青春だった。一大決心して「泥棒市場」を開いてからも、さまざまな困難に見舞われた。品物を仕入れても、従業員を雇う余裕もないから一人で店番するしかない。万引きも多い。まさに踏んだり蹴ったりだ。なんとか商売のノウハウをつかみ、満を持して一九八九年にドン・キホーテ一号店を立ち上げたものの、多事多難、それこそ紆余曲折の連続だった。思ったように売れず、社員はどんどんやめていく。
 
・もうどうにもならない。このままでは死あるのみ。ついに俺の人生も終わったか・・・・・・。そんな思いに駆られ、絶望の淵で苦悶することの連続だった。そのたびに、もがき苦しみ、唸りながら、考えに考えた。それは冷静に理詰めで考えるなんてもんじゃない。はらわたの底から振り絞るようにして、なんとか生き残るための活路を必死で考える。その場しのぎの泥縄でもかまわない。とにかく今、この瞬間を生き延びるために苦しみ抜いて考えるのだ。
 
・すると、ある瞬間に天啓のようなひらめきがやってくる。隘路を抜ける方策が、ハッと思い浮かぶ。半信半疑でその方策を試してみると、これが見事に当たる。そして新たな成長拡大に向かっていく・・・・・・その繰り返しが、私とドンキの歴史だ。危機を「禍」、成長を 「福」とすれば、ドンキほど「禍福はあざなえる縄の如し」を地で行く企業はないだろう。 どん底に陥るたびに、それが新たな福を呼び込んでくれたのだ。
 
・ドンキを何が何でも守るという執念が、異常なまでの頑張りが、予想もつかない知恵や発想を生んできた。 そして、切所での塗炭の苦しみが、新たな大福を引き寄せる呼び水になったのである 。ともあれ、壮絶なドラマの中で育ってきたドンキの企業史は、まさに私の生き様そのものだったように思う。
 
・ドンキという企業の本質をひとことでいうなら、それは「権限委譲」だ。創業者が一代で急成長させた企業は、たいてい個性の強いオーナーの独裁と上意下達の システムで成り立っている。もっとも、それが一概に悪いとは言えない。新興企業は強力なリーダーシップをもつオーナーあってこそ成長できる場合が少なくない。とくにチェー ンストア理論を実践する小売、フランチャイズ業界に、その傾向が強い。
 
 
・今、この本を手にしているサラリーマンや学生の皆さんのなかには、やることなすこと すべてうまくいかず、悶々とした悩みを抱えている人がいるかもしれない。いや、私に興 味をもってくれるのは、むしろそうした人のほうが多いのではないか。だが、あなたの心の中にある悶々としたエネルギーは、きっと大きなプラスに転化できる。心の「内圧」が高い人ほど、大きなポテンシャルをもっているからだ。
 
・私自身、生来、人一倍妬み深く、我欲と不満が強くてハングリー度の高い人間である。 また、つねにマイナー組、少数派に身をおいてきた。一度として多数派だったことはない。 ゆえに悩みも苦しみも人一倍強かった。思い描く理想の自分の姿と、現実の自分の姿がかけ離れているのだから当然だ。しかし、逆にその鬱憤をエネルギーにして、理想と現実とのギャップを何とか埋めようと、今に働き、それこそ人生を疾走するようにして生きてきた。
 
・はらわたを振り絞って考えよ。はらわたとは、もがき苦しむ力であり、どんなことがあ っても最後に生き延びようとする一念だ。煮えたぎる情熱をぶちかませ。そうすれば、おのずと道は開ける。そして、リスクを恐れるな。今の日本では、多少の失敗をしたって、餓死したり強制収 容所に送り込まれたりするわけじゃない。
 
・私の半生やドンキ起業のいきさつについては、できれば公開したくなかった。ハチャメ チャなことが多すぎて、人様に誇れるようなものは何一つないからだ。今回、私が自分の人生をさらけ出す決意を固めたのは、かつての私のように社会のそこかしこで苦悶している人々に、勇気と情熱を分かちたかったからである。
 
・ドンキは小売業界の常識をことごとく覆す「逆張り」を続けてきたからこそ、二十六期 連続増収増益という偉業を達成した。知られざる企業秘話を明かすことで、起業やビジネ スの野心に燃える人々にも、多少のお役に立てるかもしれない。それでは、わが半生とドン・キホーテの波乱万丈のストーリーを振り返ってみることにしよう。
 
・当時の夢は、ずばり世界を駆け巡る「探検隊の隊長」である。詳しくは後述するが、私は「泥棒市場」を創業する前の約五年間、元祖フリーターのような生活をし、麻雀で金を稼いでいたこともあった。金はないが時間だけはたんまりある。私はバイト代や麻雀の勝ちが貯まるたびに、世界のあちこちに旅行に出かけていった。 それも有名な観光地ではなく、辺境ばかり。アフリカやアマゾンのジャングル、ニューギ ニア、あるいはエジプトとスーダンの国境付近など、野趣豊かでプリミティブ(原始的)、 さらにはいかにもヤバそうなところ(実際、本当にヤバいところも多かった)を好んで訪れた。
 
・当時のそんな体験が、のちにドンキの仕事で大いに役立つことになる。うらぶれた気持ちで夜の繁華街をあてどなくさ迷いながら歩いた経験から、私には夜の街を漂流する若者たちの気持ちが痛いほど良くわかる。深夜市場の開拓や、ひとりで夜の街を徘徊する人々の心の襞に触れるドンキ流マーケティングを確立できたのは、当時の体験あってこそだ。
 
・自堕落なその日暮らしにピリオドを打ち、実業の世界で勝負しよう・・・・・・そう決意し、心 を入れ替えて必死で稼いだ軍資金は八百万円あった。しかし、とりあえずこれで商売を始めようと意気込んだものの、はて、では何をやればいいのかという肝心なイメージが、なかなか浮かんで来ない。
 
よく考えてみれば、私には何の専門スキルも資格もない。不器用で愛想もいい方ではな い。飲食店は小資本でも開業しやすいが、料理はインスタントラーメンくらいしか作れな いからダメ。ファッションセンスもないからアパレルもダメ、専門知識も技術もないから メーカーも無理。というわけで、残ったのは物を売ることくらいしかなかった。
 
 
・では何を売ればいいのか?ああでもないこうでもないと悩んでいたある日、私はふらりと入ってみた何軒かのディ スカウントストアで、「これだ!」と思った。その頃、ディスカウントストアは、各地にぽつぽつと登場し始めていた新手の業態で、 当時は主に「質流れ品」を売っていた。なぜかどこの店に行っても、決まって店主は、入ってきたお客をジロリと一瞥するだけで、声さえかけて来ず、無愛想きわまりない。 だが、逆に私は自信を持った。 「これで商売が成り立つのなら、俺にもできそうだぞ」。
 
・こうして私は、雑貨のディスカウント販売を始めることにした。雑貨なら誰にも身近な 商品だし、さほど専門知識も要らないだろう、とにかく安けりゃ売れるだろう、という安 易な素人考えもあった。小売業の常識などかけらもない私は、もちろん立地や商圏といった概念すらなく、何も考えずに行き当たりばったりで、東京都杉並区西荻窪の住宅街にある十八坪の路面物件を借りた。
 
しかし金融処分品の商売というのは、意外に難しい。バッタ問屋で仕入れるから安いと 思い込んでいた商品を店頭に並べると、たいして安くなく、粗利も取れず、ちっとも儲からない。素人の私は、その後このバッタ屋に何度も煮え湯を飲まされることになる 。
 
・「泥棒市場」では、バッタ品や廃番品主体という品揃えの性格上、ほとんどがその場限りの商品である。売れたからといって追加仕入れなどできない。だから常に売れそうか を見つけてきて、仕入れ続けるしかない。いわばセオリーなどない勘頼みの商売だ。
そのためには徹底的にお客さまのニーズを掴み取らねばならない。私は五感をフリ し、必死でそのアンテナを張った。今で言う、「潜在ニーズの顕在化」というマーケティング戦略の一環だろうが、当時はそんな言葉すらない。
 
・商品は棚という棚にぎっしりと突っ込み、棚の上には段ボールを天井まで積み上げた。 通路も商品と段ボールに占拠され、売場はまるで迷路のジャングル状態になった。
ただし箱を積み上げるだけでは何を売っているのかが分からない。私は段ボールに小窓を開け、商品を説明した手書きのPOP(商品説明広告)を棚という棚に貼りまった。 これが今でもドンキ名物”となっている「圧縮陳列」と「POP洪水」の始まりだ。
 
・不思議なことに、圧縮陳列を始めてからのほうが、お客さまの受けが良くなった。掘り 出し物がないかと期待感をもって丹念に見て回ってくれるし、当時は値付けもイイカゲンだったので、実際に掘り出し物は多くあった。
 
・流通の教科書には「見やすく、取りやすく、買いやすく」が小売店舗の鉄則だと書いて ある。しかし、私は「苦肉の策」として逆張りをした結果、そこに鉱脈があることを発見した。
 
・夜遅く来店されるお客さまは、たいがいアルコールが入っているせいもあってか、ゴミ山のような商品でも、逆に面白がってよく買って下さった。たとえば、「もしかしたら書けないかもしれないボールペン一本十円!」などと人を食 ったようなPOPもバカウケした。私はそこに、未開拓かつ大いなる市場の可能性を見出したのである。「夜のお客さまは、主婦など厳しい買い物しかされない昼のお客さまとは全く違う」 それに気づいた私は、進んで深夜営業を開始した。
 
・当時、セブン-イレブンの営業時間が、文字通り午後十一時までだったのに対して、「泥棒市場」は夜十二時まで営業した。その頃のわが国の物販店としては、日本一閉店時間が遅い店だっただろう。ナイトマーケットの発見は、のちにドンキで大いに生かされていくことになる。これまた、苦肉の策の逆張りである。
 
 
・すっぽりと抜け落ちているのが、いわゆる「夜の経済学」である。コンビニもドンキも、夜十時以降のナイトマーケットの発見と開拓で、この二十数年間、一人勝ちのよ うな成長を謳歌することができた。じつはナイトマーケットこそ、日本の流通業界に残された最後の大金鉱脈である。
 
・日本の小売業総販売額は約百四十一兆円(二〇一四年実績)だが、そのほとんどはデイマーケットだ。しかし私は少なくともその二割強、三十兆円程度は夜間売上に移行する可能性があるとみている。ところが、今も昔も経営者や評論家は「昼の経済」しか語ろうとしない。「昼は善、夜は悪」みたいな思い込みもあるのだろう。しかし、飲食でもレジャーでも、多くの人が夜間に消費活動をしていることもまた事実なのだ。じつにもったいないことである。
 
・自治体なども、どんどん祭りを開催すればよい。縁日の屋台なども排除して猥雑感のある夜祭りを盛り上げれば、周辺商店や飲食店の売上も増え、また男女の出会いとその交際需要等も喚起されるから、それによる関連 (?) 消費的には少子高齢化の解決にもつながるかもしれない。そうなればまさに一石が二鳥になる。
 
・ともあれ泥棒市場は「おもちゃ箱をひっくり返したような変わった店」「深夜も営業し ている」と地元で有名になり、開業数年後には十八坪で年商二億円という超繁盛店に大化けした。
 
・泥棒市場こそ後のドン・キホーテの原型であるが、流通業における常識から考えると、“禁じ手のデパート”のような店である。知識ゼロ、経験ゼロ、人脈ゼロの素人が開業。ノウハウもなしに徒手空拳で金融品、 バッタ品など玄人の世界にいきなり飛び込む。廃番品、サンプル品などを堂々と販売する。 倉庫はない。ギュウギュウに商品を詰め込み通路さえ歩けない。さらに夜中も営業する。明らかにこれらはすべて、当時の流通業の「非常識」である。それこそ「やってはいけない店の経営」の見本のようなものだ。
 
・私は、「人の心のありよう」こそ、新たな有望マーケットの母胎だと思っている。もちろんそうしたマーケットは、お客さま自身も気づかない心の中に潜在化して いる。それを感じ取り、たぐり寄せ、独自の手法で顕在化させた時、大きなチャンスを手中にすることができる。言うまでもなくその最大級の果実が、「ナイトマーケット」だった。こうした戦略と手法(というよりお客さまへの必死の食らいつき)が、深夜営業、 圧縮陳列、スポット商品MD(マーチャンダイジング: 商品政策)、POP洪水という、そ の後のドン・キホーテのオンリーワン商法とも言える必勝フォーマットにつながっていっ たのである。
 
・そもそもお客さまの心理をどう感じ、どう読み、それをどう店づくりに生かせばいいのか。こればかりは、「勘と感受性を磨くべし」としか答えようがない。 私のそうした勘や人間観察力は、前述したプー太郎時代に身についたものだ。
 
・ドン・キホーテの売場は商品が所狭しと並び、「ジャングル」と形容される。これも、
「お客さまにジャングルを探検するような期待感をもって楽しんでほしい」という思って作った。つまり私は、ドン・キホーテというジャングルの探検隊の隊長になったのだ。 そういう意味では私は、仕事でも少年時代の夢を実現した、まことに幸せな男と言えるかもしれない。
 
・権限委譲によって、仕事が労働(ワーク)ではなく、競争(ゲーム)に変わったからだ。社員同士で競いあいながら、面白がって仕事をするようになれば、以心伝心でお客さまも それを面白がり、店は一気に熱気と賑わいに包まれて行く。ゲームをする上で、私は以下のような方針を定め、厳守させた。これが成功の決め手になったと思っている。
 
・明確な勝敗基準(勝ち負けがはっきりしないゲームはゲームではない)
 
・タイムリミット(必ず一定の時間内に終わらなければそもそもゲームにならない)
 
・最小限のルール(ルールが多くて複雑なゲームは分かりにくくて面白くない)
 
・大幅な自由裁量(周りから口を出されるゲームほどヤル気が失せるものはない)
 
権限委譲の過程で、私は大切なことに気づいた。それまでの私は、「社員が俺の言うと おりに働かない。だから社員が問題なんだ」と思っていた。しかし、じつは問題は社員ではなく、私自身が問題だったのだ。
 
 
・他とは一味違うソリューション型の出店手法は、のちに北海道や関西など、『飛び地”へ進出する際も大いに役立った。経営破綻した中堅家電量販チェーンを当社が全面的に 引き継ぐという、予期せぬ結末を迎えることになる。いつの間にか当社にはソリューション型出店という、独自の必勝パターンができ上がっていた。
 
・「はらわた」とは、私の生きざまと壮絶な体験を通じて、文字通り腹の底から湧き 出てきた言葉だ。「はらわたがよじれるくらい可笑しい」とか「はらわたが煮えくりかえる」などと表現する、あの「はらわた」である。漢字で書けば「腸」となるだろう。社内では、「はらわた」という言葉が一般用語化している。本書でも 何度か出てきたが、それがそのまま社内広報誌のタイトルにもなっているほどだ。
 
・「はらわた」は未完成で泥臭く、およ スマートなイメージとは対極にある。しかしこの「はらわた」力の有無が、土壇場に追い詰められた人の明暗を決する。周り がすべて討ち死にしても、一人だけ生き残る強運を、「はらわた」はもたらしてくれる。 賢明な読者はもうお察しだろう。私の言う「はらわた」とは、もがき苦しむ力であり、紆余曲折しながら最後に這い上がろうとする一念だ。
 
・ だからこそ「はらわた」を据え、常に粘り強く戦い続けなければならない。繰り返すが、 格闘における最大の武器は「はらわた」である。そして「はらわた」の核を形成するのは、「何が何でもこうありたい」という自己実現の強烈な思いと執念、ひたむきさにほかならない。
 
・私は人生でも仕事でも、「もうダメだ」と進退きわまる局面に幾度となく陥った。そんな時、いつも内から不思議な力が湧いてくる。そして何らかの活路を見出し、どう にかこうにか浮び上る・・・・・・今もその繰り返しだ。実戦派の私には、「はらわた」と いう表現しか思い浮かばないのである。
 
・人生も仕事も経営も、きれいごとばかりではない。高邁な理想を語る前に、まずは目前にある現実との格闘が待ちうけている。
 
・ドン・キホーテでは、売場を「買い場」と呼んでいる。店がモノを売る「売り場」ではなく、お客さまがモノを買う「買い場」とし、あくまでも「主語はお客さま」と いう意識を現場に徹底させているのだ。「買い場」は単なるお題目ではない。当社がいう「買い場」は、売る側に身を置きながら、買う側に立って初めて成立する。 優先すべきはお客さまの都合だ。たとえ管理がしにくくても、万引きの発生率が高まっても、お客さまが面白さをお望みなら面白い売場を作るべきなのである 。
 
 
・ではどうすれば良いのか。その答えは、「売る側と買う側の境界を常にファジー(曖昧)にしておくこと」だ。すなわち自分が売る側か買う側か、一瞬分からなくなるような状態に置くのである。「何を提供できるか」というのはあくまで売る側の論理で、これでは買う側には立てない。
 
・これまでの人生の中で、私は公私両面にわたって数限りない人たちと出会い、ありとあ らゆる人間関係を経験してきた。少なくともその数とバリエーションの多さにおいて、決 して人後に落ちるものではないだろう。そしてそんな私の行きついた結論が、「結局、 人は人のことなど分からない」ということである。
 

スゴイなあ。勇気づけられるなあ。人生って一発逆転ホームランがあるんだなあ!年末に刺激的な本を読みました。超オススメです。(^^)