「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「寝ずの番」(中島らも)

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寝ずの番 (講談社文庫)

寝ずの番 (講談社文庫)

 

ずっと読みたかったこの本。映画を見た友人から笑いながらこのシーンを話されたとき、どーしても読みたかったのだ!!!(・∀・)

 

「希代の咄家・橋鶴が最期までオチをつけてオッチンだ。今宵は弟子たちが集まる通夜だけに艶っぽい逸話(エピソード)も飛び出す無礼講。笑って死ぬか、死ぬまで笑うか、どっちもどっち?粋でホロリとさせる咄家模様を描く『寝ずの番』3部作ほか、読み出したら止まらない、Hで笑撃的な“らもテイスト”満喫の短編集」そのクライマックスを紹介しよう。
 
・師匠は「そそが見たい」蚊の鳴くようなしゃがれ声で言った。「えらい遺言やな。まさか看護婦さんに頼むわけにもいかんしな。かといって、その辺の道歩いている女の子に頼んででも変態扱いされるだけや」
 
ここでちょいと説明させてもらうが「そそ」とは女性器の呼び名、もしくは性行為のことを指す。関西圏では普通、「おめこ」というが、京都あたりになると、はんなりと「おそそ」と呼ぶことばが多い。九州では「ぼぼ」、東北では「べっちょ」沖縄では「ほーみー」と、いろんな呼び名がある。だから京都あたりでは「そそとした美人」だの、ましてや「そそくさと立ち去る」などの表現はタブーなのである。
 
ここでおれは自分の女房をヨイショした。茂子はぽんと胸を叩いて言った。「わかったわ。あたしだってこう見えて女丈夫(じょじょうふ)よ。師匠のご臨終に恥ずかしいもへたたもないわよ。みせましょう、こんなおそそでよかったら
 
人払いをして、病室にはおれと女房と橋次兄さんと橋鶴師匠の4人だけになった。茂子はスカートのすそをぱんぱんとはたくと「では師匠いきますよ」女房は病床の上に上がると、相撲取りのように股を割った。そのまま師匠の顔のあたりまでにじり寄ると、顔に向けてスカートをまくり上げた。早々と、家を出るときにノーパンになっていたのだ。その女房の股間を、師匠はじっと見ていた。師匠はじっと見ていた。
 
「どうでした。師匠、そそをお見せしましたが」師匠は弱々しく首を振って
 
「そそやない。そとが見たいを言うたんや」それから3分後に師匠は亡くなった。
 
・「師匠はさすがや。自分の臨終にまでオチつけて逝かはった」「オチついた人やなかったけどな」と橋弥。

 

いや〜〜笑えるっ!映画のワンシーンが、また笑えるわー!オススメです!(・∀・)

 

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寝ずの番 (講談社文庫)

寝ずの番 (講談社文庫)