「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

BOOK〜『日本人はなぜ切腹するのか』(千葉徳爾)

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またまた興味深い本に出会いました。(^ ^)

「死刑執行方法としての切腹は、1873年明治6年)に廃止され、以後、日本における死刑では絞首刑が用いられているが、切腹を自殺の方法として用いる例は、明治時代以降も軍人や右翼の間に見られ、切腹を武人らしい名誉ある自決とする思想は残った。このため、軍人や右翼も自決方法として、しばしば切腹を用いる。」(Wikipedia


なぜなのか?


私が子どもの頃、1970年(昭和45年)作家・三島由紀夫陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地内で演説を行ったのち割腹自殺した。


なぜなのか?


実は、自分の腹を切るという習慣は、日本にだけあるわけではなく、中国や朝鮮にも存在した。その起源とは?なぜ日本人は切腹するのか?そのエッセンスを紹介しよう。


実は江戸時代の武士でさえ、切腹を実地に観察できた人は、ごく少ないのである。世間の人々は伝聞や演劇での形を通じて、そのイメージを形成したとみて誤りはあるまい。つまり、歴史的実像ではなく、民衆の脳裏に映じたイメージとして形成されたものであった。


・一言で言うなら、自殺する目的からすれば切腹は確かに拙劣な方法といえる。なぜならば腹壁には大血管が通っていないから、出血のみによっては死ぬ確率が極めて低い。また内蔵の露出だけでも同様で、ことに腹部の臓器は消化器だから循環器や呼吸器のように生命維持に直結していない。したがってこれを損傷したからといって即時生命が失われることはあれである。かなり長時間の苦痛の後にはじめて目的の死が訪れるのである。もともと切腹を、自殺を目的とするものと前提すること自体が誤りではなかろうか。


・古代人の人体知識に基づいて、内臓に人の誠意、もしくは本心の存在を考えていた時代が日本人にもあった。その認識によって、自己の本心を他に示す最後の手段としての切腹というものが、社会的に認定されたのであり、それを実見する者はその誠意を了解したのであると説いたのである。旧南部藩領には、武士の間に真心を他に示す手段として、割腹してはらわたを引き出してみせるという方法が存在した。


その他、切腹とその生理的基礎」「切腹の類型とその次代」「切腹起源論」「人を切腹に志向させるもの」「女性のエロチシズムと切腹願望」「切腹行為を支えてきたもの」など、生臭い話だけど我々日本人を理解するのに貴重な研究本だ。オススメです。