「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「少女たちの昭和」(小泉和子)

今年で2013年、平成になって25年経つんだね。「昭和」は遠くなったねえ。(・∀・) アタリマエのことだけど、自分の母、祖母にも少女の時代があったのだ。「少女」をとおして「昭和」という時代を概観する。都市下層、農村、植民地、また戦時に、少女たちは何を学び、何を楽しみ、どう生きたのか? 貴重写真満載!そのエッセンスを紹介しよう。


「少女の名前 「和子」は昭和を代表する名前?!」


「昭和の少女の名前上位10位」を見ると、昭和2年(1927)から昭和27年(1952)までの約30年間は「和子」の時代が続く。それ以降は約、10年ごとに入れ替わる。昭和28年(1953)から昭和36年(1961)までは「恵子」、昭和37年(1962)から昭和44年(1969)までは「由美子」、昭和45年(1970)から昭和54年(1979)までは「陽子」、昭和56年(1981)から昭和最後の年である昭和64年(1989)までは「愛」の時代である。


「和子」以来、これほど長く名づけられつづけた名前はない。昭和2年(1972)に突然第一位に急浮上していることからも「昭和」という元号から「和」をとって名づけられたことが想像できるが、日中戦争から第二次世界大戦を経て戦後の総和30年代にいたる激動の時代に変わらず名づけられている。戦時中は、「大和」「東洋平和」など当時よく使われた戦争に関する言葉が由来しているようだ。


・これを裏付けるように、戦争が激化し、太平洋戦争が始まる頃になると、「太平洋」や「東洋平和」から「洋子」という名前も急増する。戦後は、これからは「平和」な時代であってほしいという親の願いを受けて昭和30年代頃まで「和子」という名前がほぼ毎年第一位でありつづける。同じ頃、「幸子」という名前が多いのも、戦後の不安な時代に娘には幸せになってほしいという、親の願い閑込められているようだ。


・昭和47年(1972)頃から「子」がつかない名前と半々くらになり、昭和55年(1980)に「絵美」が第一位になった頃から「◯子」が少数派になる。その六年後、昭和61年(1986)には、ついに「◯子」が上位10位から姿を消し、昭和時代が終わる頃には「子」がつかない名前が主流になる。


・もともと「子」は官位を示す漢字で、貴族の子女の名前に使われた。明治時代、身分制度の廃止により、一般庶民の名前にも使えるようになり、しだいに女の子の名前に使う漢字として昭和時代になると一般化したのである。「◯子」は昭和時代の名前であったということになる。


その他、「再訪とお稽古事ー少女たちの学び」「昭和の少女服装史」「女子寮」「戦争を行きた少女たち」「働く農村の少女」「植民地朝鮮の少女たち」「都市下層の少女たち」「アンケートからみた昭和時代の月経用品」など。


よかったなあ。昭和って。いい時代だったねえ。ちなみに著者も「和子」さんだね。ノスタルジー満載。オススメです。(・∀・)