タイトルを見て惹かれて、読みました。でもイメージとは全く違う中身!(笑)昔、哲学に憧れていたころを思い出すなあ。
「物語仕立てでわかる哲学的思考。思考の壁を破壊する。日常レベル~究極の設定まで、ビジネスマンの思考実験ストーリーをとおして約2500年前から受け継がれてきた「思考の土台」が身につく」そのエッセンスを紹介しよう。
・イギリスの哲学者、ジェレミー・ベンサムは「最大多数の最大幸福」できるだけ多くの人が幸福になる。一方、どうしても一部の人は犠牲になってしまう。このベンサム説は「量的功利主義」と呼ばれています。量なのだから質は問わない。だから幸福となる人間は人格などで選ばれるのではなく、単に量として扱われます。残念ながら誰かが犠牲とならねばなりません。
・ベンサムの「快楽計算」は、私たちの日常的な行動選択から、公共的な政策に至るまで、あらゆる範囲で使えるものです。7つのパラメータで快楽(幸福)の計算をします。
1強度〜その快がどれほど強いか
2持続性〜その快がどれほど持続するか
3確実性〜その快がどれほどの確実さをもって生じるか
4近接性〜その快がどれほど速やかに得られるか
5多産性〜その快が他の快をどれほど生む可能性があるか
6純粋性〜その快が苦痛の混入からどれほど免れているか
7範囲〜その快はどれほど多くの人に行き渡るか
・ふつう、自由というと、時間にも縛られずに、なんでも好きな物を買ったり、食べたり飲んだり、着たり……というようなことを思い浮かべますよね。けれども、カントのいう自由はそれとは全然違うんです。自分自身の意思決定で欲求をコントロールするってことなんです。モチベーションが上がらないとき、あなたは理性の力で、あなた自身の気持ちをあやつることができるんです。
【電車の中で化粧をしてもいい?悪い?】
A 電車の中の化粧は許せない
B 電車の中の化粧はかまわない
判断には「事実判断」と「価値判断」の区別があります。「事実判断」は「ある事柄が事実である」とする判断です。一方、「価値判断」は「ある事柄が事実でなければならない」とする判断です。結局、電車の中で化粧をしてはいけないとは誰も証明できないわけなんです。
【耐えがたい経験】
あなたはある未開人の集まりに参加している。今日は長老の記念すべきお祝いがあるらしい。有所に大きな鍋が運ばれてきた。しかし長老の姿は見えない。鍋の中には目玉がひとつ入っている。この未開人らは。長老が70歳になると彼を殺して料理し、その肉を食べるという儀式を行う。食べることこそ長老への尊敬と部族全体の繁栄を祝うのだ。未開人にとっては、これは絶対の善であり、絶対の正義なのだ。
A 逃げ出して、未開人を侮辱する
B 黙って食して。未開人の顔を立てる
思考の7ステップ
1 積極的に考えたほうが実際的な効果が得られるのだから、あえて前向きな考えを選択する
プラグマティズム ← ジェイムス
2 束縛と自由の間を行き来して、クリエイティブな生き方をする
3 一面的な思い込みを見直して、新たな考え方の土台をつくりなおす
パラダイム変換 ← クーン
4 どんな状況も肯定的に受け入れて、自分を乗り越えようとする
運命愛 ← ニーチェ
5 次々と生じるトラブルを利用して、新たな段階へ進む
6 自分の欲望をコントロールする自律的精神を身につける
定言命令 ← カント
7 すべてのものを疑って、絶対確実な心理をみいだす
方法的懐疑 ← デカルト
そおかあ…「自由」ってそういう意味だったんだあ!この年齢になると分かるなあ。思考が深まります。オススメです。(・∀・)!