「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

ESSAY〜「お婆さんのパン」(岸本佐知子『ベスト・エッセイ2019』より)

岸本佐知子さんの文章を探し求めてこの「ベスト・エッセイ」シリーズ。よくぞ、まとめてくれました!いつも大笑いするんだけど、今回のエッセイはしんみりくるような内容だ。(=^・^=)

 

「日々の雑感、考察、失敗談から,亡くなられたあの方への追悼文まで。2018年に新聞・雑誌・ネット等に発表された中から選りすぐった珠玉のエッセイ76篇」そのエッセンスを紹介しよう。

 

【お婆さんのパン】
 
何年も前、駅前のスーパーで買い物をしてレジを済ませ、台のところで袋詰め作業を していたら、すぐ横に小さなお婆さんが店員を伴ってやってきて、しきりに何かを訴え ている。どうやらこの台に○○屋のパンの袋を置き忘れてしまったのだが、見なかったかと訊ねているようだった。店員は首を振っていた。
 
私は袋詰めを終えて店を出て歩きはじめた。すると後ろから小走りに足音が近づいて きて、「あの」と呼び止められた。さっきのお婆さんだった。お婆さんは私がスーパーの 袋といっしょに持っていたパンの袋を指さし 「それ・・・・・・」と言った。
 
たしかに私のも○○屋のパンだったが、これはさっき自分で買ったものだ。「いえ、こ れは私のです」と言ったが、置き引き犯だと思われたのが癒癪で、少し声が尖ってしまった。
 
お婆さんがまだ何か言いたそうにもじもじしているので、レシート、見ますか? と言おうとしたら、お婆さんは無言でくるりと背を向け、行ってしまった。商店街を夕焼 けの方角に向かって、とぼとぼと去っていった。
 
もう七年くらい前のできごとだ。とっくに忘れていてもいい頃だし忘れたいのに、そ のシーンは頭の中で何度も何度も何度も再生されてしまう。「あの」と呼び止められる、「私のです」と尖った声で言う、傷ついたような表情、とぼとぼ去っていく後ろ姿、夕焼け。 不思議と、あの頃はろくに見ていなかったはずの細部、たとえばお婆さんの服や、靴 下や、サンダルや、そのとき商店街に流れていた音楽や、夕焼けの雲の形や、そんなも のが時とともにますますはっきりしてくる。でもお婆さんの顔だけが見えない。いつも とぼとぼ歩いていく後ろ姿だ。
 
そして思い出すたび、お婆さんの姿は少しずつ小さくなっていった。さいしょ私の肩 ぐらいの高さだったのが、胸の高さになり、腰の高さになり、膝までになり、しまいに は手のひらに乗るぐらいの大きさになって、商店街をそこだけおかしな縮尺で、でもな ぜか歩く速度は同じまま、遠ざかっていく。
 
あまり何度も思い出すものだから、ついに小さなお婆さんは私の中に常駐するように
なった。ずっと返事を書こう書こうと思いながらそのままになってしまっている誰かか らの手紙が目に入ったとき。むかし迷惑をかけてしまった人の名前をSNSで見かけた とき。棚の奥に放置したまま賞味期限を過ぎた食べ物を捨てるとき。そんな風に良心が 小さくうずくたび、頭の中の商店街を、手のひらサイズになったお婆さんが夕暮れに向かって歩きだす。
 
このあいだ、お婆さんはついに実体化した。電話で締切りが間に合わないことに苦し い言い訳をしていたら、五センチくらいのお婆さんが私の口からぼろりとこぼれ、仕事 机の上をとことこ歩いていき、辞書の向こうに消えた。
 
その数日後、喫茶店で打ち合わせの最中、なんだか腋がくすぐったいと思ったら、お 婆さんが服をかき分けてもそもそ出てきて膝の上からテーブルに上がり、砂糖壷を回り こんで相手のコーヒーカップの皿によじのぼりはじめた。汗が出た。
 
どうしたら小さいお婆さんは出てこなくなるだろう。どうしたら立ち退いてくれるだ ろう。もう一度会って、あのときはあんな言い方してすみませんと謝れば許してくれる だろうか。あれから何度も駅前のスーパーやパン屋に行って探すが、もう二度と姿を見かけない。
 
などと考えている私の机の上を、今もまたお婆さんはとことこ歩いていく。立ち止まり、 一瞬振り返ると見せかけて、お尻を片手でぺんぺんと叩き、行ってしまった。
 
きしもと・さちこ(翻訳家) 「ちくま」1月号
 
岸本さんは、きっとフツーの人が観ていないものを観て、アクセスしているんだろうなあ。さあ、このシリーズ、遡って読もう。オススメです。(=^・^=)