こんなタイトルで本が書けちゃうのか!♪「論」になっちゃうのか!♪(笑)
「「タモリの本当の〈凄さ〉って何だろう――。なぜ30年以上も毎日、生放送の司会を超然と続けられるのか? サングラスの奥には、人知れぬ孤独や絶望が隠されているのだろうか?小説デビュー作でタモリへの愛を告白した作家が、秘蔵の「タモリうんちく」を駆使して、その謎めいた正体に迫る。伝説やエピソード、私的「笑っていいとも! 」名場面など、読めば〝タモリ観″が一変する、革命的芸人論」そのエッセンスを紹介しう。
・1982年10月に始まった「笑っていいとも!」 が始まってまだ一年ぐらいのこと。「テレフォンショッキング」 のコーナーに、突如男が乱入して、タモリの横に座りました。 凶器も所持していたはずです。しかしタモリは慌てず騒がず「何、 言いたいことがある?」と返し、 やりとりをしている間に男はスタッフに取り押さえられました。 観覧していた客は目の前の光景が信じられず、 しばらくざわついていましたが、 タモリはケラケラと笑っていました。忘れがたい光景です。
・タモリは95年まで夏休みを取っていたけど、それ以降はなし。 休んだのは船舶免許取得と、ゴルフボールが直撃したときと、 白内障の手術を含めた人間ドックの③回だけ。どうかしています。 お昼の生放送というのは、 長年連れ添ってくれた夫人と海外旅行ができないどころが、 平日に休んだり三連休という、 コンビニのバイトでさえできることを放棄してしまっている。 一生使い切れない金があるにもかかわらず、 そこらの学生やプータローより自由が利かない。 タモリはそんな自分を冷ややかに見ているはず。
・「あの人はな、可哀想な人だぞ。恐ろしく孤独な人だ、 あのタモリという人は」(カメラマン佐々木教)
・「笑っていいとも!」ってやっぱりすごいと私は思う。 一時間も見ていたのに、テレビを消した途端、誰が何を喋り、 何をやっていたのか、まったく思い出せなくなってしまう。「 身にならない」っていうのは、きっとこういうことなんだ。( 吉田修一『パレード』)
・「料理は家庭の中でできる最高にクリエイティブなことだ」
・フジテレビは、結局はBIG3を超える「新しい神様」 を作り出せなかったことを満天下に露呈してしまった。 だから衰退してしまったのか。ゆえに、 インターネットにパージされたのではないでしょうか。タモリ、 たけし、さんまのBIG3の光景は、 テレビの最終回の絵ヅラでない。遺影なのだ。2012年の「 27時間テレビ」、あれはフジテレビの葬式でした。
・「陽水さんはもう働かなくてもいいお金があるのに、 どうしていまだに全国ツアーをやるのだろ思う?それは彼が“ はたかもん”だからですよ。自分がコンサートをやれば、 そのおかげで生活ができるプロモーターとスタッフがいるから」 マンガ家の小林よしのり、白石一文、タモリ。 彼らに通用することは、福岡出身であり、 自分を慕う者たちへの面倒見の良さです( 女好きであることも加えたい)。タモリが「いいとも!」 をやめないかぎり、 田辺エージェンシーとフジテレビのスタッフの生活は保証されてい ます。そのための労をいとわない。タモリの正体は、 義理人情に篤い“はかたもん” なのかもしれないと思うときがあります。
・ギャグ漫画家が東京に連れてきたアングラ芸人は、 転がる石の角が削られて丸みを帯びていくように、 すべてをあきらめて聖人になった。タモリの人生とは、 名もなき流浪の男が「最高の存在」へと高めていったそれなのか。 いや、生まれたときから「神」だとしたら?
・人間のすることで、 他の動物にはできないことがふたつあります。それは、 笑うことと、祈ることです。僕はきょうも笑いたい、 そして祈りたいと思います。
前略タモリ様ー。
思えば私のデビュー作『さらば雑司ケ谷』 にあなたと小沢健二のやり取りを書かなかったら、 あの本はあそこまで話題にはなりませんでした。 他にも有形無形を含めて、 数え切れないほどあなたの影響を受けています。 一度もお会いしたことはりませんが、 僕もあなたの数多くの作品のひとつです。これでいいのだ!