「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「サザンオールスターズ 1978ー1985」(スージー鈴木)

「流し」としてさまざまなところで歌ってるけど、案外、歌を知らないのが、国民的バンド、サザンオールスターズ!!!(^ν^)

 

「やっぱりサザンは〝初期〟が最高!!《勝手にシンドバッド》《いとしのエリー》《C調言葉に御用心》《チャコの海岸物語》《海》《ミス・ブランニュー・デイ》《メロディ(Melody)》etc. 衝撃のデビューから国民的バンドとなるまでの軌跡をたどる、胸さわぎの音楽評論!あの曲の、あのメロディの何が凄いのか――。日本のポップ・ミュージックに革命を起こしたサザンの魅力に切れ込む、胸さわぎの音楽評論!」そのエッセンスを紹介しよう。

 

・日本のポップス、のちに「Jポップ」と呼ばれるカテゴリーにおいて、キーパーソンを3人選べと言われれば、松任谷由実山下達郎そして桑田佳祐であると、確信を持って答える。この3人は、デビューアルバムの、それもA面1曲めから、そのありあまる才能を惜しげもなく披露している。商業的には桑田の圧勝である。オリコンで最高位3位、50万枚を売り切った勝手にシンドバッドに対して、ひこうき雲《SHOW》は、シングルカットすらされていない。
 
しかし、その反動としてひこうき雲荒井由実《SHOW》シュガー・ベイブの方が、往々にして、伝説性を持って語られ、かたや勝手にシンドバッドじゃ、あのころの大衆全員が体験した「現実」として、淡々と語られることになる。
 
勝手にシンドバッド》の何が凄かったのか。何が革命だったのか。ひと言でいえば、「日本語のロック」を確立させたことに尽きる。「早口ボーカル」「巻き舌ボーカル」と言われるほど、日本語を、口腔内を自在に操って発声することが普通になったこと。あの衝撃を多面的に分解すれば、その最も大きな要素は、桑田佳祐の、あのボーカルスタイルではなかったか。
 
「発音」面でも、大滝詠一の影響はあるかもしれない。しかし、それよりも何よりも、最大の存在がいるだろう。キャロル時代の矢沢永吉である。
 
・衝撃のもう1つの大きな要素は歌詞である。「桑田語」ともいうべき、とても死独創的で斬新な感覚の言葉に溢れいてる。今改めて勝手にシンドバッドの歌詞を見ると、その後のサザンの歌詞とは異なり、英語のフレーズがまったく入っていないことに驚く。
 
・黒柳「急上昇で有名におなりですが、あなたたちはアーティストになりたいの
ですか」
 
桑田「いえ、目立ちたがり屋の芸人で〜す」
 
 
・1978年10月12日のザ・ベストテン
 
1位 世良公則&ツイスト『銃爪』
2位 堀内孝雄『君の瞳は10000ボルト
3位 山口百恵『絶体絶命』
5位 西城秀樹『ブルースカイブルー』
6位 野口五郎『グッド・ラック』
7位 沢田研二『LOVE(抱きしめたい)』
8位 ピンク・レディー『透明人間』
9位 アリス『ジョニーの子守唄』
10位 郷ひろみ『ハリウッド・スキャンダル』
 
 
「サザン=コミックバンド」という空気が、当時メディアの中に濃厚に存在していたことがある。
 
 
【バンド(代表メンバー)/生年(79年当時の年齢)/デビューからの年数】
 
ゴダイゴミッキー吉野)/1951年(28歳)/11年
オフコース小田和正)/1947年(32歳)/9年
チューリップ(財津和夫)/1948年(31歳)/7年
サザンオールスターズ桑田佳祐)/1956年(23歳)/1年
 
初期サザンを考える上で重要なのは、この差である。いかに若かったか。完成された音で着実に人気を積み上げてきた先輩バンドに対して、まったく新しい方法論によって、突然ブレイクした愉快犯。つまり「パンクとしてのサザン」である。79年、サザンが調子に乗り、趣味性を全面に押し出し、最も戦闘的だった1年が始まる。その戦闘の号砲は、言うまでもなく《いとしのエリーだ。
 
 
・1985年10月3日の【ザ・ベストテン
 
1位 サザンオールスターズ『メロディ(Melody)』
2位 安全地帯『悲しみにさよなら』
3位 C-C-B『Lucky Chanceをもう一度』
4位 とんねるず『雨の西麻布』
5位 Toshi&Naoko『夏ざかりほの字組』
7位 河合その子『涙の茉莉花LOVE』
8位 斉藤由貴『初戀』
9位 石川秀美『愛の呪文』
10位 少女隊『BYE−BYEガール』
 
隔世の感とはこのことである。音楽シーンはまったく変わってしまった。これだけの大変化の中を、サザンは戦い続けてきたのである。そして『メロディ(Melody)』は、当時の時代の寵児秋元康が仕掛けた、とんねるずおニャン子クラブ河合その子を抑え、トップに君臨したのだ。
 
初期サザンの歩みをたどってみれば、あるときは歌謡曲と対抗し、あるときは歌謡曲を取り入れ、そしてあるときは歌謡曲の中に飛び込んだ歴史と言える。そんなベンチマークとしての「歌謡曲」が、音を立てて崩壊し始めているのだ。
 
 
・「歌詞は、メロディーが浮かぶと同時に、デタラメ言葉ーまァ英語が多いんだけどーで浮かんでくるわけ。日本語の歌詞は絶対に浮かんでこない。浮かんだ言葉とメロディーをゴニョゴニョそのまま唄ってくと、コード進行がピーンとわかる。今度はギターを持って、言葉はデタラメのまま、何度も何度も歌うんだよね。それは、ボク一人でもやるし、バンドと一緒にもやる。そのうちに何となく、そのデタラメ言葉にピッタリとくる日本語が何カ所か出てくるわけ
 
 
「エリートは誰か?」「1980年ーサザンオールスターズ迷う」「比較分析〜サザンオールスターズとはっぴえんど」「1981年ーサザンオールスターズ、突き詰める」「1982年ーサザンオールスターズ、開き直る」「ソング・ライター桑田佳祐などなど。
 
深いなあ!よくこの評論、書いたね!数十年後に伝説になる本。オススメです。(^ν^)