「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「京都ぎらい 官能篇」(井上章一)

京都出身で、京都大学を出た著者が「京都ぎらい」という本を書く理由。よくわかるわ。そして続編まで出ちゃって。その気持ち、よくわかるわー。(・∀・)

「あの古都は、まだとんでもない知られざる歴史を秘めている。京都が千年「みやこ」であり続けた秘密は「京おんな」。その惑わす力で権力者をからめとってきた朝廷。人生をくるわせるほどの女性を生む魔性の舞台装置としての京都。日本史の見方が一変する一冊!」そのエッセンスを紹介しよう。
 
 
京都と大阪は、近いところにある。しかし、たがいにいだく敵愾心は、小さくない。京都で語られる大阪論と、大阪で耳にする京都論を聞くと、深い溝があるなと思わされる。京都の木屋町通沿いは、上大阪町という町がある。河原町通にも、大阪町が面している。堺町通の両側には、大阪材木町という名の町さえ、ひろがっているのである。京都の洛中が、大阪とのつながりをことほいだ時代のあったことは、うたがえない。だが、いつのころからか、二都はまったく違う都市像をもたれだしている。
 
・物心がついたころから、観光客の姿にはなじんできた。1970年代のはじめごろから、一人旅の若い女性が、年ごとにふえていった。1955年生まれの私は、1970年に15歳。美しい人から道をたずねられ、目的地まで同行したことも、一度や二度ではない。散歩へは、暗記にはげむつもりででかけていたが、そのような出会いを求める気分もなかったわけではない。
 
・もし嵯峨の子でなければ。私は受験時代を、ただただつらく苦しく過ごしたろう。女性の一人旅が多くむらがる嵯峨だからこそ、私は夢を見ることができた。かんこ右脚の若い女性たちは、私に女の魅力をかいまみせてくれた。暗い受験生活にともしびをそえてくれたのは、彼女たちである。
 
渚ゆう子という歌手のことを、たぶん若い人はあまり知らないだろう。代表曲の「京都の恋」と「京都慕情」(1970年)。いずれも、作曲はアメリカのザ・ベンチャーズ、作詞は林春生である。内容はほとんど、女と男がわかれ、傷つき京都へやってくる。恋なんか、二度とするものか。男の想い出も、すててやる。そう決意をかため、「旅に出」た女の歌なのである。時代にいきおいと、ぴったり波長?をあわせている。その源流はデューク・エイセス「女ひとり」にさかのぼる。恋につかれた女がひとり」で、京都の郊外をさまよう歌である。女性ひとりの京都旅行者に失恋直後の人が、どれほどいたかは、わからない。たぶん、当時の世間は一人旅の女性という構図に、傷心の気配を感じ取ったのだろう。「恋につかれた女」が、京都歌謡の定型になっていったのも、そのためだと思う。
 
・「嵯峨の老人が『京へ行く』というのは物理的に移動する意味ではなく、京都の遊郭へ女を買いに行く意味だと思います」
 
・京都の洛中には、今でも「京都弁」という言い方を、たしなめる人がいる。「lk用途弁」とちゃいます。「京言葉」です、と。
 
 
瀬戸内晴美(寂聴)『女徳』は、読んでみよ。この本と併せて読むといいよね。オススメです。(・∀・)