京都出身で、京都大学を出た著者が「京都ぎらい」という本を書く理由。よくわかるわ。そして続編まで出ちゃって。その気持ち、よくわかるわー。(・∀・)
「あの古都は、まだとんでもない知られざる歴史を秘めている。京都が千年「みやこ」であり続けた秘密は「京おんな」。その惑わす力で権力者をからめとってきた朝廷。人生をくるわせるほどの女性を生む魔性の舞台装置としての京都。日本史の見方が一変する一冊!」そのエッセンスを紹介しよう。
・京都と大阪は、近いところにある。しかし、 たがいにいだく敵愾心は、小さくない。京都で語られる大阪論と、 大阪で耳にする京都論を聞くと、深い溝があるなと思わされる。 京都の木屋町通沿いは、上大阪町という町がある。 河原町通にも、下大阪町が面している。堺町通の両側には、 大阪材木町という名の町さえ、ひろがっているのである。 京都の洛中が、 大阪とのつながりをことほいだ時代のあったことは、 うたがえない。だが、いつのころからか、 二都はまったく違う都市像をもたれだしている。
・物心がついたころから、観光客の姿にはなじんできた。 1970年代のはじめごろから、一人旅の若い女性が、 年ごとにふえていった。1955年生まれの私は、 1970年に15歳。美しい人から道をたずねられ、 目的地まで同行したことも、一度や二度ではない。散歩へは、 暗記にはげむつもりででかけていたが、 そのような出会いを求める気分もなかったわけではない。
・もし嵯峨の子でなければ。私は受験時代を、 ただただつらく苦しく過ごしたろう。 女性の一人旅が多くむらがる嵯峨だからこそ、 私は夢を見ることができた。かんこ右脚の若い女性たちは、 私に女の魅力をかいまみせてくれた。 暗い受験生活にともしびをそえてくれたのは、彼女たちである。
・渚ゆう子という歌手のことを、 たぶん若い人はあまり知らないだろう。代表曲の「京都の恋」と「 京都慕情」(1970年)。いずれも、作曲はアメリカのザ・ ベンチャーズ、作詞は林春生である。内容はほとんど、 女と男がわかれ、傷つき京都へやってくる。恋なんか、 二度とするものか。男の想い出も、すててやる。 そう決意をかため、「旅に出」た女の歌なのである。 時代にいきおいと、ぴったり波長?をあわせている。 その源流はデューク・エイセスの「女ひとり」にさかのぼる。「 恋につかれた女がひとり」で、京都の郊外をさまよう歌である。 女性ひとりの京都旅行者に失恋直後の人が、どれほどいたかは、 わからない。たぶん、当時の世間は一人旅の女性という構図に、 傷心の気配を感じ取ったのだろう。「恋につかれた女」が、 京都歌謡の定型になっていったのも、そのためだと思う。
・京都の洛中には、今でも「京都弁」という言い方を、 たしなめる人がいる。「lk用途弁」とちゃいます。「京言葉」 です、と。
瀬戸内晴美(寂聴)『女徳』は、読んでみよ。この本と併せて読むといいよね。オススメです。(・∀・)