酒場のギター弾き 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「鉄眼 一切経刻版に賭けた生涯」(片岡薫)

この本は3回挫折した。最初の20ページがわかりにくくて途中で放り出してしまった。しかしようやく完読っ!良かった……。すごかった……。この本に出会えてよかった……。
 
仏教経典のすべて一切経。それを読むのもスゴいが、今から約400年前、それを版木を作り、刻版をした鉄眼禅師という人がいたという話を聞いて信じられなかった。その生涯を書いたのがこの本。現在では、京都府宇治市黄檗山宝蔵院にある鉄眼版一切経収蔵庫にて収蔵されていて約6万枚の版木があり重要文化財に指定されている。スゴい、スゴすぎる!!!その鉄眼禅師の生涯とは?そのエッセンスを紹介しよう。
 
 
・経典を汚したことは、それは自分が悪い。罰を受けても当然である。だが、自分はそのことを言っているのではない。さぜ差し違えた行司でなく、自分が呼び出されなければならなかったのか。同じ僧侶である父が。どうして月正寺や水平寺の住持の前であれほどおろおろし、卑屈にならなければならないのか。それほど、彼らは仏の道を極めているというのだろうか。それならなぜ、仏の道にあるとも思えぬ差別をするのだろう。あの依怙ひいきや、嘘いつわりや不法を許すのだろう。
 
仏の道を説いた教本や、仏の道を知ろうとするすべての人の前に開かれていていいはずではないのか。誰もが自分の手にとって読むことができていいものではないか。それなのに、あたかも自分のものであるかのようにひとり占めにしてしまうとは、いったいどういうことだろう。
 
「おれ、ほんとうのこと知りたか。人間とはなにか、仏とはなにか、仏の道で人間はほんとうに救われるのか、そのことば知りたか」
 
一切経は、仏道についてはもちろん仏教史、宗教文学から医学、天文学、心理学にいたるまで広汎な範囲にわたって説かれており、全巻あわせて六千数百巻もの厖大(ぼうだい)なものとなっている。この全巻を伝えることは容易なわざでなく、これまではまず暗誦による口伝え、それから個人の多大なエネルギーと根気を必用とする筆写、そして高麗や契丹(きったん)などでは十一世紀ごろからうようやく印刷による伝達にまですすんできていた。日本でも鎌倉、足利の時代に一度ずつ印刷が企てられたが、いずれも一部分しかできず失敗に終わっている。それを、この江戸時代に入って、天海僧正が一応完成した。その名をとって、天界版と名付けられたわけである。
 
・「おたずねします。私は、正直者が馬鹿をみない世の中を探しております。どうすれば、どこに行けば、それが見つかるでしょうか。また、そういう世の中があるものでしょうか」隠元禅師「そういう世の中は、探して見つかるものではなく、自分でつくらねばならぬものではないのですか?」
 
・「この国の人たちの中には、私が何かを教えるために来たと思っている人があるようです。それは思い違いで、私はそんな大それたことを考えて来たのではありません。また、仏の道というものは、たとえいくら教えても、わかるものではないでしょう。それでは何を思って来たかというと、私は自分を試しに来ました。私の見つけた仏の道が間違いないものか、揺るぎないものか、それを試しに来たのです」
 
・「私が、仏は自分のなかにあると悟ったのも、探したからでした。追い求めたからでした。私はいまは、仏の道は与えられるものではなく発見するものだ。自分んで見つけるものだ、と思っています。神や仏は頼むものではありません。願うものでもありません。仏は外にあるのではなく、自分の中にあるのです。仏の道は極めても、極めても、極めつくせないものがあります。私はまだまだ未熟な者です。この国におしえてに来たのではなく、みなさんとともに修行を重ねたい、そういうつもりでおります」
 
「そぎゃん歩t家の道が大事ね!そんなものより人間の方が、人間の心が大切ではなかとですか!」
 
・「私は親切な山の人たちに救われ、命を拾うて参りました。もう、死のことは考えません。生きていて、やり抜きたいことがあります。それをやり抜くまでは、死のうのも死ねません。一切経の刻版をいたします」
 
・「一切経を全巻刻版するためには、印刷する工房はもちろんですが、版木を貯蔵しておく場所も必要になるでしょう。六千数百巻もあるのですから、相当の広さを占めることになります。そこで私は、将軍さまからいただいたこの地の一面を、その貯蔵の場所として提供しましょう。あなたがやってくれると聞いて、こんなうれしいことはありません。これで、老僧の願いはかないました。ありがとう、ありがとう、……たいへん、ありがとう!」鉄眼は、ただもう泣いていた。
 
一切経とは、一口で申しますと、仏の道のすべてが説かれたものであります。人の心の問題だけでなく、人間の体のこと、世の中のこと、さらには天体のことまで、真実を求め真理を極めようとしているものであります。つまり、人間を愛し、人間を大事にするものが、このなかには満ち満ちております」
 
・鉄眼は文六や宝州たちと相談して、作業を筆写、刻版、印刷の三部門に分けた。このほかに校正という重要な作業があった。そのためには、第一に字が読めること。ついで正確な字が書けること。それを間違いなく版に彫れること。これだけの能力と技術のある物を必要としたのである。さて募ってみると、読み書きのできるものは少なかった。作業を充実させるためにには建て増しが必要であった。机や工具、それだけの作業をする場所がなければならない。泊まり込む者もあった。作業場や居間だけでなく、炊事場も拡げなければならない。作業が軌道に乗ってくれば、先立つものは金である。なにより、多くの人たちの善意を集め、その力で完成させたいという願いがある。そのためには、日本全国をくまなく歩きたい
 
・鉄眼が歩きまわったわけの一つには、これらの材料探し、材料集めがあった。桜は多くを大和、近江に頼り、遠くは土佐にまで行って求めている。紙は美濃、紀伊から備前、安芸、石見、周防と中国路を探し、四国の阿波、土佐、伊予にまで足をのばした。しかも、ちょっと油断をしているとすぐ品切れになるので、気が許せない。一切経を全巻刻版して版木およそ六万枚、紙は片面二紙だから十二万枚と踏んでいるので、これだけのものを滞りなく調達するのは、並大抵のおとではなかった。
 
・「ここに一人の病人がいるとしましょう。医者がいなければ、どこが悪いのかわかりませんね……それなら医者がいるとしましょうか。薬がなければ、どこが悪いとわかっていても、治すことができません……いいですね。経本を集めた一切経は、ちょうどその薬のようなものです
 
・「みなさんは、浜の砂がなぜあんなに美しいか、考えたことがありますか。波にもまれ洗われて、あんなにきれいになったんですね。人間も同じだと思いませんか。人間には、もともと仏性という美しい心が具わっているのです。どころが、誰もがそのことに気づいておりません。もまれ洗われているうちに、わかってくるのです。大乗起信論には、そのことが詳しく、わかりやすく説かれています」
 
「住持、見てください。これが最後の版です。五万六千二百二十九枚目です……住持、一切経の刻版は、これで全巻完了しました」鉄眼の顔は、この上もなく柔和なものであった。それは、さよならという顔ではなかった。何回でもやろうじゃないかという顔であった。その顔をじっと見つめている小糸の懐に、大事にしまわれた文六の位牌がのぞいていた。
 
 
次回、京都に行った際には、ぜひとも黄檗山宝蔵院に行って拝みたい。元気が出ました!超オススメです。(・∀・)