「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「空と宇宙の食事の歴史物語 気球、旅客機からスペースシャトルまで」(リチャード・フォス/浜本隆三、藤原崇 訳)

 
頻繁に飛行機に乗るようになって、機内でのドリンクサービスは、なくてもいいかあ!って思ってるけど、自分で飲み物は用意するもんね。機内食が出るとウレシイよね。逆に、新幹線や特急でで駅弁や食事がないなんて考えられないし。(・∀・)
 
さて、この本。いいよお!「空と宇宙の食事の歴史」だよお!
「長時間の飛行機の旅では、限られた空間で調理、配膳された魅力的なごちそうが振舞われる。戦闘時や宇宙では手軽でおいしく栄養のある食事が欠かせない。絶え間ない技術開発に支えられている空での食事の変遷を追う。レシピ付」そのエッセンスを紹介しよう。
 
 
移動中に食べるのは現代人だけではない。昔からずっと屋台やファーストフードがあった。人々は乗り換えのときに必ず何か食べていた旅の食事は必ずしも豪華とはかぎらない。ジャンクフードやお菓子を食べない車の旅があるだろうか?飛行機の国内便でナッツの小袋が出ないと寂しくないか?
 
・旅の食事には、準備と消費のいずれにおいても、その旅ならではの旅が立ちはだかる。考えてもみよう。木製の船で火をたくのだ。あるいは、線路上で激しく揺れる列車のなかでオムレツをひっくり返さなければならない。
 
・これまで歴史家は、空の上で出されていた食事の長い歴史について、ほとんど関心を示してこなかった。本書は空の上での食事が、コストカットへの執念によって貧相なものに成り下がってしまう前の、偉大な高みへと至らしめた技能、技術、それにさまざまな組織による世界での発展の過程を記した初めての文献であり、同じ要因が宇宙時代にどのように受け継がれていったのかを明らかにしたものである。これは素晴らしい物語であり、100年を超える時代の記録を収集し、まとめ上げる作業は、数多くの人のご支援なしに成しえるものではなかった。
 
初期の機内食は、なにも出ないよりはましだったにせよ、冷めたままで出された。一緒に出されたホットコーヒーは、確かに歓迎された。当時、機内は暖房されておらず、外套や毛皮製品を着込んでも、寒さ対策は十分ではなかった。乗客は、たとえ数時間前に魔法瓶に詰められたものであって、暖かい飲み物をありがたがった。飛行距離が伸びると、航空技術者は飛行中、ものをどうやって温めるかという問題について検討をはじめた。機内で可燃性の液体燃料を扱うことには、明らかに、安全上の懸念があったが、飛行機で初めて用いられた食品を温めるシステムはこの方法であった。
 
・本書のテーマ、空の食事についてみれば、その歴史は熱気球時代にまでさかのぼるが、食事らいし食事が提供されるようになったのは、ツェッペリン型飛行船が商業飛行を始めてからのことである。ツェッペリン号が1929年に行った世界一周旅行では、日本に立ち寄った一行のために東京の帝国ホテルが腕を振るい、爆発事故を起こしたヒンデンブルク号には250本のワインが常備されていた。その後、第二次大戦までの空の主役は飛行艇へと移る。機内のギャレーには簡易の調理施設が整い、パンナムのホノルル路線では機内でローストビーフを焼いていた大戦後、ジェット時代の幕が開けると、航空各社はそれまで幅広く提供していたフライドチキンのランチボックスを改め、それぞれ空港のそばに自前の調理場を用意して、機内食に工夫を凝らすようになる。しかし、空の旅が大衆化すると、、航空会社は社外のケータリング業者と契約を結んで、世界中の路線で同じ冷凍の食事を提供するようになった。
 
 
その他、「空の贅沢:ツェッペリンの時代」「旅客飛行の黎明期」「1940年までの飛行中の加熱技術」「1930年から第二次大戦まで:飛行艇」「1930年から対戦勃発までの陸上航空機」「第二次世界大戦と戦後の黄金時代」「飛行中における味覚の生理学」「競争、規制、ジョット時代の幕開け」「大衆文化のなかの機内食」「ジェット時代の大量輸送と贅沢競争」「ジャンボジェット、暴飲暴食、それに文化の表現」「特別食の知られざる歴史」「機内食を設計する」「機内食の凋落と衰退」「チューブ食とキューブ食:宇宙での食事」「宇宙食の商業化」「アポロ、ソユーズ、宇宙の多様性」「宇宙空間で調理することの難しさ」「スペースシャトル国際宇宙ステーション、中国人宇宙飛行士「タイナコート」」など。

 

これは歴史に残る本だね。人間の「食」に対する思いってスゴいなあー!オススメです。(・∀・)