「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「青が散る(上)(下)」(宮本輝)

 

忘れられないTVドラマがある。そのひとつが1983年放映の青が散るだ。19歳、大学に入学したばかりのワタシの学生生活がそのまま投影されていたようだった。同じ名前の宮本輝が原作ということもあり、夢中になった。大塚ガリバー『人間の駱駝』、歌を歌っている自分とオーバラップし、嫉妬した。まだ本当の恋を知らない自分だった。学費を払うために勉強をそっちのけでバイトをし、サークル活動と酒と音楽に夢中になった頃だった。その後書籍化されたのだが、あれれ?本棚にないなー!ということで30数年ぶりに再読。そしてまたまた感動!!!

 

椎名燎平は、新設大学の一期生として、テニス部の創立に参加する。炎天下でのコートづくり、部員同士の友情と敵意、勝利への貪婪な欲望と「王道」、そして夏子との運命的な出会い―。青春の光あふれる鮮やかさ、荒々しいほどの野心、そして戸惑いと切なさを、白球を追う若者たちの群像に描いた宮本輝の代表作。退部を賭けたポンクと燎平の試合は、三時間四十分の死闘となった。勝ち進む者の誇りと孤独、コートから去って行く者の悲しみ。若さゆえのひたむきで無謀な賭けに運命を翻弄されながらも、自らの道を懸命に切り開いていこうとする男女たち。「青春」という一度だけの時間の崇高さと残酷さを描き切った永遠の名作」その中での印象的な言葉を紹介しよう。
 
「ねえ、燎平くんて、三十歳ぐらいになったら、凄くいい男になりそうな気がするなあ」「……ふうん、それまで待ってくれるかァ?」「いやよ、待ってあげへん」
 
「お前なァ、人生における最も心ときめくことは何やと思う?」「何や?」「恋や恋。恋にきまってるがな」しかしそういうセリフを、まさかお前の口から聞こうとは思わなんだなァ」
 
・祐子の表情をそっとうかがってみた。ごく普通の、格別美人でもなければ不器量でもない、どこにでもいる若い娘であったが、金子の言った恋という心ときめくうねりの中へ、あるいは最もひたむきに、しかも静かに狂おしく突き進んで行くかも知れないと思わせるものを、祐子はその顔立ちのどこかに持っているような気がした。
 
「夏子、いま俺の頬っぺたにキスしたの?」「そうよ、お礼のキスよ」「…へえ」燎平は自分の頬を指先で触ってから、気がつけへんかったから、もういっぺんしれくれよ」
 
・「祐子は、我がテニス部の母であり、恋人であり……海であり、山であり、大地でり、しかも財布である」
 
「一生に二度とない、四年間もの休暇や」安斎はぽつんと言った。
 
王道とは何であろうかと燎平は考えた。そして、貝谷の言う覇道とは何であろうか。すると燎平の心に、社会の中で、あるいは力弱く悄然と生きているかもしれない数年後、数十年後の自分の姿がふいに浮かんできた。
 
・「祐子みたいな女の子は、絶対に俺みたいな男には惚れへんのや。俺は祐子の結婚相手の顔が、だいたい想像出来るんや。男前でもない、ごく普通の、そやけど俺には太刀打ち出来ん顔をしてるんや。祐子は男のみてくれに惚れたんとは違う。そこがじつに祐子らしい、しゃくにさわるところなんや。俺は祐子をますます好きになった
 
・「私も、ねたましいなァ……私、祐子のこと、なんとなく苦手なの。祐子って、そんなに目立つほどきれいじゃないでしょう?そやけど、やっぱり祐子ってきれいな女の子なのよ。私、そんな祐子が苦手なの。かなわないなァって思うの」
 
・「本も読まず、映画も観ず、勉強もせず、車にも乗らず、女の子とも遊ばず、ただテニスばっかりやってきたこうなったら、残りの二年間も、徹底的にテニスをやってやる。行く手には、マッチポイントあり、やなァ」
 
・「女の子と楽しく遊んで、それが何になる。車を乗り廻して、映画を観て、それが何になる。俺たち人間は、恋をするために生まれたのでも、スポーツをするために生まれたのでもない。しからば、いったい何のために生まれたか」「何のために生まれたんや」「……つまり、それがわからんために、足踏みをしてるわけや」「四年間の足踏みか」「一生つづくかも知れん足踏みや。しかし、最後は体力が決定する。これだけは真理やぞォ。人生の勝敗は体力が決定するんや」
 
・「俺は三十歳になって、もしまだ夏子が誰のものでもなかったら、そのときは堂々とプロポーズするぞ」どうして三十歳にならないとプロポーズしないの?」
 
・「テニスに限らず、スポーツの試合の最中に、突然かかってしまう病気がある。それは臆病という病気や。これにかかるか、かからへんかが勝負の分かれ目や。この臆病風に吹かれると、途端にボールがラケットとケンカを始めるんやなァ」
 
・「俺、夏子を好きや。そやけど、そんなこと、もうとくに知ってるやろ?」「燎平、どうしたの?私、燎平は絶対に最後まで、そのことは口にしないやろなァって思っていたのよ。それが燎平やて思てたの」
 
・「夏子は、男の人を知ってるの?」「燎平にだけ教えてあげる。私、まだ処女よ。正真正銘の…。」
 
・「婚約者のいる男の人に誘われたってことで、私、なんか変な気持になったの。もし田岡さんに、朝原真佐子さんってフィアンセがいなかったら、私、彼の誘いに応じてたかわられへん。……不思議でしょう?」「きょ年の11月に、六甲の駅で、燎平私に訊いたでしょう?夏子は男の人を知ってるのかって。私、正真正銘の処女よって答えたの覚えてる?でも、いまは違う。もう何遍も何遍も、田岡さんに抱かれたわ。真っ裸にされて、何遍も何遍も田岡さんに
 
・「燎平、私のことを好きやって言うてくれたことがあるわね」「うん」「そやのに、どうして強引に自分のもににしようとせえへんかったの?」「夏子に惚れ過ぎたからや。金子が俺に言いよった。夏子みたいな女をものにするには、大きな心で押しの一手や、て。俺は大きな心になることばっかり考えて、肝腎の押しの一手を忘れた。正しく言うと、忘れたんと違って、でけへんかったんや
 
・燎平はガリバーに言った。「俺は、こわれた自転車や。ハンドルは歪んでるし、チェーンは外れてるし、タイヤはパンクして、漕いでも漕いでも動かへん」
 
・「電話でめそめそ泣き出されて、ざまあみやがれいう気分や。俺が、どんなに夏子を好きやったか、夏子はちゃんと知ってたはずや。その俺に、あのホテルの下の入江で何て言うたか覚えてるか?真っ裸にされて、何遍も何遍も抱かれたって言うたんやぞ。ひどいことを平気で言うたのは夏子のほうや」
 
・「この世は怖い。人生は大きいこの三日間でつくづく俺はそう思うた。人間は死ぬよ。哀しむべきことやない。ただ、人が死ぬということは寂しい。そやから人生は、やっぱり寂しいもんなんや。しかし、俺は生きて生きて生き抜くぞ。乞食になり果てても、気が狂うても、俺は生き抜くぞ。そうやって必ず自分の山を登ってみせる。
 
 
「女は、水ね」「水……?」「渓谷を流れている水みたい。岩や石に当たるたびに、あっちへ行ったり、こっちへ行ったり……女の心は水みたいね」
 
 
・「安斎といい、俺といい、お前といい、どいつこいつも情けない男や。純情なのも、度が過ぎたらアホの裏返しや。安斎もアホや。この俺もアホや。金子、どうや、オレもアホですと言っうてみィ」
 
 
・(あとがき)テニスだけに明け暮れた、単純と言えば言えるそんな4年間の中にも、やはり幾つかの風や波は襲ってきました。ですが、そんな悲哀や不安や絶望や焦燥などは、なべて若さという不思議な力の中に吸い取られて、しかも決して消えることなく個々の心の奥にひっそりと沈殿していった時代があった。燎平も夏子も祐子も金子慎一も、さらには貝谷朝海やガリバーや安斎克己も、木田公治郎や端山たち一郡も、それぞれがそれぞれの心の澱みをたずさえて、青春の海を泳いでいった。私は青が散るの中に、そうした青春の光芒のあざやかさ、しかも、あるどうしようもない切なさと一脈の虚無とを常にたずさえている若さというものの光の糸を、そっと曳かせてみたかったといえるでしょう。
 
携帯電話がなかった頃の時代のやりとり、ガリバーの歌と夢、自分の気持が伝えられないもどかしさ、恋に翻弄される想い、大人の階段を登るということ、などなど。青春時代って、素晴らしくもなく、恥ずかしくて、意地っ張りで、わがままで、強引で、もがき苦しんだ時代だったことが今になってわかる。川上麻衣子、よかったなあ!このドラマにワタシも登場したかったなあ。どんな役で!?(笑)まさに青春の永遠の名作、ここにあり。映像が浮かんでくるわ。座右の一冊です。超オススメです。(・∀・)