「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「不良妻権」(土屋賢二)

最近、ハマっている哲学者のツチヤ教授の本。このリズムとテンポがいい。( ・∀・)イイ!!

タイトル、いいなあ。教授の話題には、必ずといっていいほど「妻」が登場するんだけど「不良妻権」かあ。うまいなあ。(笑)そのエッセンスを紹介しよう。

 

・本書は週刊文春連載「ツチヤの口車」を大幅に加筆修正したものである。ものと文章の有意義の部分を削って屁理屈を練り込み、厳選されたゴマで和えた上で秘伝のタレに漬け込んでは寝かせ、起こしては寝かせして、1ページ1ページ丁寧に仕上げた。さらにコクとまろやかさを出すため、じっくり発酵熟成させようとしていた矢先に校正の締め切りを迎えた。その結果が本書である。

 
なぜ一度書いた文章を直すかというと、一つには文筆家としての責任感が強いからであり、一つにはそのままだと読むに耐えないからであり、一つにはどれだけ直しても直す余地があるからである。
 
・われわれは比喩をよく使うが、それは主として理解を促すためである。たとえば暑い日に釜茹でにされているみたいだ」と言えば暑さが伝わりやすい。だがなぜ比喩によって伝わりやすくなるのだろうか。釜ゆでにされたことのない人間が、釜ゆでを引き合いに出すとなぜ分かった気になるのか、不可解だ。
「今朝、右足の小指をタンスの角にぶつけたんだ。痛いの何のって、左足の小指をタンスにぶつけたようだったよ」それ、比喩になってるか?〈十時に大阪に継いたんだが、まるで十時半に大阪に着いたようだった〉というのと同じだ」
 
・失敗は避けられない。だた失敗は成功の母である。言いかえれば、成功は失敗の子である。さらに言いかえれば、失敗は成功の子の祖母であり、成功の孫の曽祖父母であるこうして言い換えを続けるのがすでに失敗であり、成功の母である。
 
・熱が出た。風邪だと思うが、マラリアか知恵熱かもしれない。身体が異常にだるく、測るまでもなく高熱だと分かる。わたしが卵だったら半熟のゆで卵になっているはずだ。体温計を渡すと六度一分です」と言う。驚いた。そんなはずはない。「えーっ、四十六度一分ですかー!」と聞くと、看護師は「三十六度一分です」と軽蔑した顔で答えた。
 
もしも一切の偽装なしで正直に表示する食堂があったらどうだろうか。
 
「当店ではお客様(お金を払う方にかぎる)の満足と、それ以上にわたしどもの満足を願っております食材についてはエコのため利益のため、期限切れ、遺伝子組み換え、半端物、クズ肉などのわけあり食材を極力使用し、お客様の食べ残しも再利用しております。高級食材を演出する味付けを心がけておりますが、限度もあり、お好みに合うことを祈るばかりです。
 
当店では、朝起きてから一度も手を洗っていない従業員が約60%おりますので、十分お気をつけ下さい。なお、従業員のうち整形した者は一名、カツラを着用している者は一名です。全員、上品さを装うよう訓練されております。
 
当店では、食事とともに抗生物質、禁止薬剤も摂取できます。なお都合により隣の中華定食店から出前を取ってお出しする場合もありますが、その場合の添加物は分かりかねます。なお、以上の記載内容には虚偽が含まれていることをお断りしておきます
 
大人になってもドラマや映画や漫画や小説など、物語を好む。なぜか?物語は、敵から逃げる、復習する、障害を超えて恋を貫く、逆境を克服して成功する、謎を解く、巨悪を暴く、敵を倒すなどだ。あらゆる物語の本質は、問題を解決したり障害を乗り越える点にある。人間は何の問題もないより、苦労して問題を解決するのを好む。何の問題も起こらない物語を読みたいであろうか。障害のない恋愛が物語になるだろうか。二年は問題を乗り越えるのを夢想したいのである。人間は本当に解決するよりも挫折する方が得意であり、挫折するよりも解決を夢想する方が得意である。
 
 
「なぜ説得されるのか(オーディオ・マニアの男と知り合いになってはいけない)」「もったいない」「期待させない方法」「男の生き方」「熱が出た」「偽装表示の波紋」「ハムレットの心境」「男の妄想」「時間の徹底的節約法」「外向型の時代」「驚かなくなった」「アインシュタイン夫人の提案」「ポイントの奴隷」「久しぶりの練習」など。

 

ワタシはこの本からネタを仕入れています。こんど、飲み屋で使おう!オススメです。(・∀・)