酒場のギター弾き 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「猫は音楽を奏でる」(『ねこ新聞』監修)

 
我が家は、毎年「猫年」である。5つあるカレンダーはすべて。愛用のカップも6個くらいあるが全てスマホケースも箸入れも。なぜならワタシの前世が「ネコ」だからである。(=^・^=)
 
さてこの本。「猫と暮らし、猫を愛し、猫に愛された著名人たちが猫への思いを綴った心温まるエッセイ集」そのエッセンスをしよう。


(「猫は語る」角田光代
 
・私のところに猫がやってきた。二年ほど前である。猫にかんしていちばんびっくりしたのは猫が語ること。もちろん言葉を話すわけではない、顔で語るのである。ごはん、や、遊んで、などはもとより、「遊ばないと、こういう悪さをしますよ、いーい?」「今帰ってきたのにもう出かけんの?いつ帰るの?」「なんか家の人数ひとり足りないんだけど、どしたの?」「うわー、何これ動いてんの何、この黒い動くもの、何?」「ちょっとお湯はり見ててもいい?」等々、語る。演技までする。
 
ごはんをもらっていないふりをすることもある。目を細め、いかにもひもじい顔をして、ごはん処の前に座っているのである。私も夫も幾度かこれにはだまされたこともある。

・ある家の猫は「いいよ撫でても」と近づいてきて、私は撫でまわしはじめると「もうそれくらいでいい」と言い、それを無視してさらに撫でていると「もういいって言ってんだろうがよ」と静かに言った。猫とはかくも饒舌なのか、はじめて知った。猫は饒舌だが、声を発するわけではないのだ。鳴くときも声がちいさい。だからいつだって静かなのだ。なのに、いつもいつも話しているような気がしてしまう。夫と猫とつねにくっちゃべっているような気がしてしまうのである。人の声としてたとえることができないが、それでも言葉で会話している実感だけがある。そうして思うのである。私たち人同士も、言葉を交わしながら、でも声ではなくてもっと違う何かで、大げさにいえばたましいみたいなもので、言葉を交わしあっているのかもしれないな、なんて。
 
・(「性懲りもなく」小池真理子)そばにいるだけでいい。一緒に暮らしているだけでいい。猫がいる家、というのは、それだけで、どうしてこんなに温かいのだろう。猫が元気で走り回っている家、というのはどうしてこんなに活き活きしているのだろう。性懲りもなく、またや私は猫に夢中になっている。
 
・(「今は猫がいません」内田春菊)猫がそこに丸くなっているのをたまに見るだけで、なんとなく気持ちがやすらぐ。目を細くして、陽だまりにいる猫、とんでもない格好で仰向けに眠る猫、どんな猫でも、そこにそうしていてくれるだけで嬉しい。
 
 
「ネコの館」(牧伸二は実話なのだろうか!?いいなあ、ニャンコ、飼いたいなあ!ネコ好きに贈ります。オススメです。(=^・^=)