「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「やさしさをまとった殲滅の時代」(堀井憲一郎)

ワタシの旧外資系の生命保険会社に入社した頃、1996年6月。もう26年前になるのかー!その頃は富士通製の弁当箱のようなノートパソコンを使っていた。当時としては画期的で、カフェでノートパソコンを開いている人はいなかった。みんなの視線を感じたものだ。当然、その頃はインターネットにつながっていない。その頃からケータイは使っていたが、ちょうどレンタルオンリーから買取に変わった頃だった。iモード」は、99年スタートだったなあ。時代を感じるなあ!そう感じると時代の変化はオソロしく早いっ!(・∀・)
 
さてこの本。「90年代末、そこにはまだアマゾンもipodもグーグルもウィキペディアもなかった。それからたった10年。00年代に何かが大きく変わったことは間違いない。しかし、いったい何が変わったのか?静かに進行した地殻変動の正体とは?2002年の日韓ワールドカップ、2003年の涼宮ハルヒ、2004年の電車男、2007年のロスジェネ、2008年の秋葉原事件……、ホリイ博士がずんずん調べた!」そのエッセンスを紹介しよう。
 
 
人知れず、いろんなものがなくなっていく。
しかも、なくなっていくときの悲哀も惜別も存在しない。
なんだかよくわからないが、それまでの「小さい楽しみ」がことごとくぶつされていっているような感じがしてしまう。すべてなくしてから、気がつく。あんなにあった「小さい楽しみ」は、すべてなにかに奪い取られてしまったのだろうか。00年代の変転について、すこし、眺めてみたい。
 
おもいかえすと、90年代は、みんながんばって、2000年を迎える準備をしていたのだな、ということである。2000年には、まだ、Suicaも登場していなかった携帯電話はつい一年前に11桁になったばかりだった。携帯は。1990年の半ばに広がりはじめ、90年代後半にすっかり日本中に広まった。信じられない風景であるが、90年代の前半から半ばにかけては、コンピュータはインターネットにつながっていなかったのである。そいういう仮想空間がまだ設置されていなかった。コンピュータは、とても計算の速い機会でしかなく、個人個人がそれぞれのものを仕舞っておく便利な箱でしかなかった
 
すべては90年代に準備され、00年代にみごとに世界を変えていった。00年代とは、つまり音も立てずに、社会の底を抜くような時代だったのである。音がしない。言葉にされていない。そこが異様であった。ある意味、とても厳しい時代であった。社会の底のほうがどんどん変わっていくため、ただ、黙って、その流れにしたがって動いていたのである。
 
・携帯電話が退却しはじめている。いずれ、携帯電話がなくなってしまいそうな勢いである。すべてがスマートフォンに取って代わられようとしている。スマートフォンは、あれは、携帯電話ではないスマホは、その機能のなかで「通話できること」をあまり一義的に置いていない。携帯できるパソコンであり、通話機能もどこかに付いている携帯型パーソナルコンピュータ端末でしかない。あれは、インターネットや動画を見るためのツールである。どう考えても電話機だとは言えない。
 
 
高田馬場はいつからラーメンの街になったか」「都市情報誌の栄枯盛衰(『とTOKYO1週間』)」「電話普及の戦後史」など。

 

ああー!なるほど。あの時代の変遷をわかりやすく解説してくれたわー!ホントに静かに時代は変わっていったんだね。オススメです。(・∀・)