酒場のギター弾き 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「ツチヤの軽はずみ」(土屋賢二)

先日、はじめて読んだ哲学者の土屋賢二センセイの本。オモシロイわー!ハマるわー!この独特の文体と着眼点と発想力と表現力、軽そうに見えて実に味わい深い内容に、惹きつけられて、3年に一章くらいは読んでみたいと思わせる。(笑)
 
「笑えないものは何もない。本邦初の「お笑い哲学者」が贈る爆笑エッセイ集。試験も不況もリストラも、ついでに妻も笑い飛ばそう」そのエッセンスを紹介しよう。
 
 
・本書は週刊文春のコラム「棚から哲学」の連載を単行本にしたものである。哲学とは無関係なエッセイを掲載するコラムで、多くの読者から「週刊誌にはめずらしく読まなくていいページ」「このページがあると、他のページが有意義に感じられる」と、高く評価されている。
 
わたしのコラムは他のページの引き立て役である。寿司における生姜やワサビの役だといってもいい。わたしのコラムだけを集めるのは、生姜やワサビだけを食べるのと同じで、おいしくも何ともないだろう。
 
試験監督というものは簡単そうに見えるが、だれにでもできるというものではない。とくに生後三ヶ月まではまず無理だ。本当ならリハーサルを5回はやってくれないと不安なところだ。試験室は緊張がみなぎり、受験生の熱気がひしひしと伝わってくる。とても麻雀をする気にはならない
 
わたしの全盛期はこども時代だったと思う。小学生のころには、多くの天才たちと同様、児童の名をほしいままにしていたこのままいくと将来はきっと大人になるにちがいない、とみんなに思われていた。わたしは世間の期待を裏切らず、無事、中高年のオヤジとなっているが、児童を経て大人になる素質は生まれたときから備わっていたと思う。わたしが生まれて一週間後には、家族の中にわたしの名を知らぬ者はいなかった
 
学習はくりかえしによってなされる。犬が「お手」を学習するのも、人間が九九を学習するのも、くりかえしによる。道具でも使い込んでいるうちに手になじんでくる(正しくは手が道具になじむというべきだと思うが)
古典的な例はパブロフの犬の実験である。これは、パブロフ博士が犬に食事を与えるたびにベルを鳴らすのを十数年続けたところ、犬が死んだという実験である。これにより、ベルで死を防ぐことはできないことが判明した。さらに、ベルが鳴るだけで、自動的にパブロフ博士が犬に餌をやるようになっていたという。
 
・どうしてみんな演奏家になろうとするのだろうか。いくら練習しても、演奏家になれるのはほんの一握りである。ピアノで食べていくのは、ピアノを食べるくらい難しいのだ。
 
わたしは金持ちではないが頭痛もちである。腰痛ももっている。腰はいつも痛むわけではない。季節の変わり目などに、腰を風呂場にぶつけたとき痛むのだ。
 
ピアノは「小さいオーケストラ」と呼ばれるが、なぜかオーケストラは「大きいピアノ」とは呼ばれない。ピアノの発明が与えた影響ははかりしれない。もしピアノが発明されなかったら、「ピアノ協奏曲」とか「ピアノ大安売り」などの意味は知られなかったであろう。
 
・大学の廊下を歩いていたとき学生が声をかけてきた。知らない人のためにいっておくが、わたしは廊下や道を歩くことにしており、壁や天井を歩くようなことはない。「先生、豆大福はお好きですか」わたしは答えた。「好きだよ。だけどどうしてそんなことを聞くんだ?豆大福を床に落としたんだけど、買わないかとか、一週間前に買ったのを買わないかという話じゃないだろうね」
 
・早寝早起きがいいとされているのも根拠は不明である。もちろん、古来フランクリンプランクトンだったかもしれない)をはじめ、多くの人が力説してきたという事実は無視できない。ただ「多くの人がいったことだからといって、とくにフランクリン(トランポリンだったかもしれない)がいったからといって、それを無反省に信じるのは愚かだ」ということも多くの人がいった。
 
・最近、よく女子高校生が手帳にプリクラの写真を貼って見ているが、なぜああまで自分の写真を見たがるのか、理解できない。自分の顔より犬や猫を見ていた方が楽しいだろうに。自分の写真を貼って見ていないと、自分の顔がおぼえられないのだろうか
 
・電車では、若者が座席に浅く腰掛け、股を大きく開き、足を投げ出して一人分以上の席を専有している。どうせ投げ出すなら自分の財産を投げ出してほしいものだ。
 
・わたしの理論によれば、すべての人間は多かれ少なかれ「自分は特別な存在だ」という信念をもっている。だが、自分は特別だと信じ続けても、他人と接触しているうちに「特別な人間に対するにしては、扱いがズサンではないか」と疑う機会が増えてくる。
 
自分が特別ではないことに気づいたとき、あるいは気づきそうになった場合、あくまで自分は特別だという信念を守る方法がわたしの理論では二つある。一つは恋愛である。恋愛の中では、相手が特別な存在になる。これは錯覚であるため、相手のどこが特別なのかは、はたの者にはわからない。(時間がたてば当人同士も、どこを特別だと思ったのか、分からなくなる。自分が特別視している当の相手から特別だと思われたら、自分も特別な存在になれる(わけではないが、特別だと思いこむことができる)愛する人に愛されたいと思うのはこのためである。恋愛はちょうど、こっちも特別扱いするからそっちも特別扱いしてくれ、という取り引きのようなものである。
 
恋愛は、自分が特別だと思っている状態から、自分は何でもない人間だと悟るまでの移行期に発生する過渡的現象である。通常、この過渡的現象は思春期に始まり、死ぬまで続く。年をとると恋愛から卒業したようにみえるが、実際には、恋愛の対象から外されて、やむなく遠ざかっているだけである。恋愛がダメとなったら、特別視されるためには権力や金に訴えるしかない。それもなければ、年をとっているとか、病気であるという事実に頼って特別扱いを要求することになる。
 
 
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いや〜いいわー!セミナーのネタも仕入れられるなー。全著作、読んでみよ。オススメです。(・∀・)