「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「甲子園という病」(氏原英明)

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この本は、いいなあ……考えさせられるなあ。ちょうど春のセンバツが行われているけど、「甲子園の魔力」だなあ。甲子園で活躍することが必ずしも正解じゃなないということだね。(・∀・)
 
夏の甲子園は、2018年の大会で第100回を数える。これまでにいくつもの「感動のドラマ」を生んできたことは確かだが、一方で不都合な真実に光が当たることは少ない。本来高校野球は「部活」であり「教育の一環」である。勝利至上主義の指導者が、絶対服従を要求して「考えない選手」を量産したり、肩や肘を壊してもエースに投げさせたりするシステムは根本的に間違っているのだ。監督・選手に徹底取材。甲子園の魅力と魔力を知り尽くしたジャーナリストによる「甲子園改革」の提言」そのエッセンスを紹介しましょう。
 
・あるメジャーリーグのスカウトは、甲子園を取り巻く環境のことをこう表現している。「child abuse(チャイルド・アビユース)」児童虐待という意味だ。現在プロ野球で活躍している菊池雄星が、花巻東高校時代に発した言葉の怖さを考えるようになった。腕が壊れても最後までマウンドにいたかった。今日が人生最後の試合になってもいいと思いました」高校野球に人生を賭けて戦う姿は美しくみえる。しかし、冷静に振り返ってみれば、ぞっとする話である。痛みを我慢しながら投げている姿を「感動」と皆で盛り上げている環境は、客観的に見れば「虐待」そのものだ。
 
高校野球は、このままで良いのだろうか。物事には「表」と「裏」、「陽」と「陰」、「清」と「濁」があるものだ。すべてにおいて完璧なものなど存在しない。これまで報じられてきた“感動の裏”にあるものを問い直すそれが本書の目的だ。
 
松坂大輔の高校時代の恩師・小倉清一郎失敗というと語弊があるけど、『もうちょっとこれは練習しないといけない』という未完成な部分を残しておいた方が良かったのかなというのはある。投手として学ぶ要素が100あるとしたら、普通の選手は100まで到達しないんだけど、松坂だけは100を教え込んだ状態で送り出した。高校時代にすべてを完璧に教えたことが失敗だったかもしれない」高校時代に偉業を見せ続けてきた松坂をして、恩師がそう語るのは興味深い。
 
・甲子園を目指す中で好投手が生まれる。その“最高傑作”が松坂だった。『完成品』にしてしまって良かったのか…。
 
 
「玉砕球児が消えない理由(木更津総合千葉投手の山なりボール)」「「痛いか」ではなく「いけるか?」」「“大谷二世”を故障させた指揮官の反省」「松坂大輔とっ黒田博樹から考える“早熟化”」「藤浪晋太郎大谷翔平にも通じる対比」「メディアが潰した「スーパー一年生」=京都外大西のクローザー・本田拓人酒田南の美濃一平」「「楽しさ」を取り戻せ」「甲子園出場を果たした「日本一の工業高校=沖縄県立美里工業」」「偏差値70超えのスーパースターが誕生する日」など。

 

こう考えると令和の怪物・佐々木朗希が、大船渡の3年生のとき、県大会決勝でまさかの「登板回避」という判断が下されたり、一年目に体力づくりに専念したのは正解だったんだね。実に考えさせられる。オススメです。(・∀・)

 

 

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