「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「続・一日一生」(酒井雄哉)

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この本はスゴいなあ。深いなあ。人間ってちっぽけだけど、生きていることに意味があるんだなあ、とココロに深く腑に落ちる。

 

比叡山の峰々を1000日かけて約4万キロ歩く千日回峰行を2度も満行し、2013年9月に87歳で逝去した酒井雄哉天台宗大阿闍梨。行者としての体験から得た人生の意味や生きる姿勢を、平易に、慈雨のような言葉で説く。累計16万部を超えるベストセラーとなり、多くの人々の心を癒した『一日一生』の第2弾。亡くなる3日前、大阿闍梨が遺した「最期の言葉」は――「人間って、なにか持っているつもりでいて、なにも持っていないんだな……」そのエッセンスを紹介しよう。

 

山を歩くというのは「動」=「生」の世界で、帰ってきてから明日の準備をするのは「静」=「死」の世界なんだな。静の時間は、明日生まれ変わるための準備の時間。今日失敗したら今日中に整理して次の日にちゃんとできるように今日一日を一生懸命やらなければ明日もないということ。だから一日一生」ということなんだな。
 
千日回峰行のなかで、最も厳しいのが、7日目の回峰行を終えてからの「堂入り」だな。九日間、断食、断水、不眠、不臥で不動明王真言を10万遍唱えるわけ。堂入り中は水を一切飲んではいけないけれど、五日目になると、一日一回、うがいを許される。いままで水を断っていたところに、水を口に入れるじゃない、そのときの感触は何とも言えないんだ。この世にこんなにおいしいものがあるのかと思うくらいだ。おそらく、人は死ぬとき、最期には水が欲しくなるんじゃないかな。そして、その水のありがたさがわかると同時に、人間はたいしたことないよなあと思い知った瞬間でもあったんだ。
 
・うがいが終わって、二、三時間たつと、口の中の渇きが戻ってくる。水が恋しくなるんだな。ほしいなあと思うとものすごく苦しい。どんなえらいこと言ってても、人間の欲というものを抑えるのは、本当に難しいものだ。
 
四日目くらいから死斑が出てきて魚のくさったような臭いがしてきて。死臭だな。やらないと分かんないもんだな。生死のふちを感じてみると、なんと尊いものをいただいているかと思うよ。だから、簡単に命を殺すようなことを決してしてはいけないんだよな。
 
「一日一生」と考えて、今日のことは今日はおしまいにしちゃうの。明日はまた新しい自分になって、新しい感覚で進んでいけばいい。毎日そうしていると、余計なことを気にしたりつまらないことに悩んだりしなくなるよ。
 
・ぼくの好きな言葉に「無始無終」という言葉。始まりもなければ終わりもない、という意味。終わったといってそこで安心していてはいけないという戒めの言葉でもあるの。終わったということは、また新しい出発点に立っているということ
 
千日回峰行で七年間かけて歩く距離を合計すると、だいたい四万キロ、地球一周分の距離になるらしい。ぼくは二度だから地球二周でも地球はたった一日でぐるっと一周しちゃうことを思うと、人間の営みなんて、本当にちっぽけなものだよねえ。
 
ブータンの人たちは、地球上の目に映るものはみんな自分たちのご先祖さまが生まれ変わったものだって信じているんだって。草木でも花でも虫でも動物でも、昔は自分たちの祖先だったかもしれない。からいじめたり粗末にしちゃいけないというんだ。自分だって、蚊に生まれ変わるかもしれないから。
 
・輪廻転生があるかはわからないけどね、ぼくは「一日一生」って思ってやっているでしょう。考えようによっちゃ、それも輪廻転生のようなものだよね。
 
・いろいろまわり道をしたけど、歩くっていう自分のいちばん得手なものだから、仏さまがこいつは歩くことで人生の修行をさせようと出会わせてくれたんだな。二千日の回峰も終わって、みんなに感想を求められるんだけど、やっぱり何だったのかって、わからない。終わったというだけのことなんだな。

 

語っているコトバは、シンプルだけど重みが違う。ズシンと響くなあ。オススメです。(・∀・)

 

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