全作品読破している、ほしおさなえさん。この文体と表現にときどき出会いたくなるんだよねー!今回のテーマは「坂」。この本もステキでしたー!(・∀・)
「アラフォーで母と二人暮らしの富野蓉子。父・タカシは引っ越し好きの変人で、亡くなるまでに移り住んだ家は20箇所を超える。それらはすべて東京の有名な坂の近くに建っていた。幼い頃家を出ていった父の遺言状には、自分が住んだ坂のリストがあった。その一つ「幽霊坂」を通りかかったことをきっかけに、蓉子は父の足跡を辿り始める。坂をめぐりながら土地に刻まれた記憶をたどり、坂のある風景が、父の、母の、そしてわたしのさまざまな人生模様を描き出す」そのエッセンスを紹介しよう。
・五年前に死んだわたしの父は、引っ越し好きの変人だった。 三十歳くらいで実家をでから引っ越しをくりかえし、 七十六歳で亡くなるまでに住んだ部屋は二十ケ所をを超える。 部屋を借りて済む。だが更新の時期が近づくころには、 次の部屋を探して引っ越してしまう。ヤドカリのように。 わたしたちと暮しているあいだにも、 父は四回引っ越しをしている。わたしが一歳のとき、三歳のとき、 五歳のとき、六歳のとき。そして、わたしが八歳のとき、 ひとりで家を出て行った。 だからわたしが子ども時代を暮した部屋もすべて坂道に建っており 、その四つとも名前のある坂だった。
▲ 闇坂(くらやみざか)
▲ 狸穴坂
・わたしたちにもいくらかの預金が遺されていた。それと、 わたしに宛てた遺言状の最後のメッセージには、 なぜか父がこれまで住んできた坂の名前が一覧になって記されてい た。住所はない。坂の名前とそこに住んだ年だけ。 なぜそんなものを記したのかの説明もなかった。
▲ 胸突坂
・坂の名前を見ながら、 父はなぜこんなに坂にこだわっていたのだろう、と思った。 しかも一年か二年済むとすぐに出て行ってしまう。
▲ 幽霊坂
・「そりゃ、やっぱり、父親だからよ、父親っていうのは、 坂に立ってるものなのよ。 だいたい男の人ってみんな自分が坂にいると思っているんじゃない のぉ、のぼったりおりたりがすきなのかしらねぇ」
▲ 梯子坂
・さっき伯母は、 自分の人生なんかどこにもなかったと言っていた。 でもこの風景を見ていると、そもそも「自分の人生」 なんてものが存在するのだろうか、と思えてくる。 このマンションの谷に住む人々がみなそれぞれに自分の坂をのぼっ たりおりたりしている。 無数の坂があのなかにあると思うとおそろしくなる。
▲ 王子稲荷の坂
・結局わたしは一度も父を訪ねなかった。 自分たちを捨てた父を許せなかったのか。 許せないという自分の気持ちを認めたくなかったからか。 そうやって逃げていた。だから父は遺言状に坂の名前を書いた。 いつか訪ねてきてほしかったから。父はさびしかったのか。 お父さん、坂を見あげ、歩き出す。なぜか涙が出た。 坂をのぼりながら涙はいつまでもとまらなかった。 父とはもう会えない。どうやっても。氷川神社の裏の鳥居を抜け、 立ち止まる。葉の落ちた木々を見上げながら、 次は父が最後に住んだ坂を訪ねようと思った。
▲ 別所坂
・「変な人だったなあ。いつだったか、 自分は持っているものを全部捨てながら生きてきた、 って言ってた。最後に自分も捨てる。 そしたらすっきりするだろうなあ」
▲ 桜坂
・これまでめぐった坂が次々に脳裏をよぎり、 その坂たちが父の生きた証のように思えた。 なにもかも捨てて坂をめぐることでしたか生きられなかった父の、 生きた証。坂をのぼり、 坂をくだったすべての人たちと同じように、わたしたちも生きて、 坂をのぼったりして、くだったりして、いつかこの世から消える。 どの人生もその人だけのもので、 ほかの人から見たらわけがわからないし、 きっと本人もわけがわからないまま、ただ生きている。
▲ 異人坂
・「蓉子、なぞなぞだ。東京の坂で、のぼり坂とくだり坂、 どっちが多いか」父の言葉がよみがえる。一歩ずつ坂をくだる。 生きて、歩いている。
▲ くらぼね坂
▲ 氷川坂
▲ 三折坂
▲ 明神男坂
▲ 本氷川坂
▲ 蓬莱坂
▲ 赤城坂
▲ 蛇坂