「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「イラストで見る 昭和の消えた仕事図鑑」(澤宮優 平野恵理子)

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この本、読みたかった!いいわー!いまの子どもが成りたい職業「ユーチューバー」なんて昭和の時代に存在しなかったように、それぞれの時代にしか存在しない仕事、すでに失くなってしまった仕事ってあるよね。こんなにたくさんあるとは!!!(・∀・)
 
「激動の時代を支え、消えていった「懐かしの仕事」から「裏商売」まで。活弁士が紙芝居屋へ転身、貸本屋はいまのコンビニくらいあった、デマで会社をつぶす倒産屋……激動の時代を支え、高度経済成長と合理化の末に消えていった数々の仕事の記録。利便性と引き換えに、現代は大切なものを失ってはいないだろうか。懐かしの職業ばかりでなく、文献に残されることの少なかった裏商売や過酷な肉体労働も調査取材し、当時の収入、料金、業務内容まで膨大な情報を収録した保存版。全114種イラスト付き」そのエッセンスを紹介しよう。
 
・主に昭和の時代に見られた庶民の仕事で、現在は消えてしまったもの。仕事によっては、人力車などのように、昭和初期にはすでに姿を消してしまったものも含む。もうひとつは消えつつある仕事で、現在でも細々と続いているものの、最盛期が昭和の時代にあったものである。本書を書くにあたって改めて気がついたのは、ここで取り上げた仕事は、今や時代の中に埋もれ、見つけることが困難な存在になってしまったことだった。どれもが、ある時代に流行したものの、利便性のある新しい仕事に取って代わられ、その後は行方不明のように誰もが見向きもしなくなったそのまま今日に至っているというのが現状である。
 
「勿体ない」という言葉から連想するのは「辛抱」だ。あの時代は今のように天職や適職を論じる余裕はなかった。まず食べていかなければならないという経済的な貧しさがあった。今では職種も増えたが、そのような選択肢のない時代、仕事とは食べるために働くという要素が強かった。やりがいとか、適職という言葉が入り込む余地は殆どなかった。高くはない賃金で、過酷な条件でも辛抱して働かなければならなかった。貧しいがゆえに、法の網を潜り抜けて人を騙したりする、詐欺や違法もどきの商売もあった。そのような仕事を辿ってゆくと、その時代特有の哀しみが見えてくる。
 
・やがて時代は昭和30年代後半から高度経済成長を迎え、貧しさから徐々に脱却していく。カラーテレビ、冷蔵庫、洗濯機などが登場し、町にはモノが溢れた。その繁栄が著しいほど、今まで活躍した人たちが消えてゆくことになるとくにこの時代は顕著だった。川に鉄筋の橋が架かると、それまで対岸まで人を乗せていた渡し船の人たちはどこへ行ってしまったのだろう。傘が安価で簡単に買えるようになると、傘の修理をして生計を立てた人はどうなったのだろう。紙芝居のおじさんたちは、テレビの登場でどこへ行ったのだろう。
 
特に、「赤帽」「馬方(馬子)」「沖仲仕」「押し屋(立ちん坊)」「押し屋(列車)」「三輪タクシー」「車力屋」「蒸気機関車運転手(蒸気機関士)」「バスガール」「街角メッセンジャー」「渡し船の船頭」「炭鉱夫」「質屋」「下宿屋」「新聞社伝書鳩係」「電話交換手」「桶屋」「炭焼き」「蹄鉄屋」「文選工」「棒屋」「氷屋(氷売り)」「ポン菓子屋」「荒物屋」「演歌師」「大ジメ師」「行商」「雑貨店(よろず屋)」「駄菓子屋」「泣きばい」「天皇陛下の写真売り」「蛇捕り師」「マネキンガール」「活動弁士」「大道講釈」「し尿汲み取り人」「エンヤコラ」「ショバ屋」「つぶ屋」「寺男は印象的だ。
 
「放浪詩人、高木護」は、生涯100以上の仕事を経験したのだという。これは貴重だ!多くの先人たちの苦労の上に、われわれの便利な世の中が存在しているんだね。感謝が伝わるわー!オススメです。(・∀・)

 

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