「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「暗い夜、星を数えて 3・11被災鉄道からの脱出」(彩瀬まる)

f:id:lp6ac4:20211026230333j:plain

 
東日本大震災からちょうど10年だね。あの時はホントすごかった……。ビルの10Fにいたんだけどビルごと倒れるんじゃないかと思った…。書けば長くなってしまうけど、さてこの本。
 
遺書は書けなかった。いやだった。どうしても、どうしても――。あの日福島県に向かう常磐線で、作家は東日本大震災に遭う。攪拌されるような暴力的な揺れ、みるみる迫る黒い津波。自分の死を確かに意識したその夜、町は跡形もなく消え、恐ろしいほど繊細な星空だけが残っていた。地元の人々と支え合った極限の5日間、後に再訪した現地で見て感じたすべてを映し出す、渾身のルポルタージュ」そのエッセンスを紹介しよう。
 
道路も、町並みも、なにもかもが酷い有様だった。道路はひび割れ、ところどころがスプーンの背で押し潰したように陥没している。電線はちぎれて地面へ垂れ下がり、家々の屋根から落ちた瓦が路肩で砕けて山になっている。ブロック塀は粉々に崩れ、電柱が六十度の角度に傾いている。目に映る光景が、ショッキングすぎてうまく脳で処理されない。絶え間ない余震に足元がふらつき、いつまでも地を踏む感覚が戻ってこなかった。
 
「俺の家、沈んじまったなあ」町を見下ろしていた男の人が、泣くでもなく声を荒げるでもなく、夢を見ているようにぽつりと言った。
 
それぞれが見てきたもの、感じたことを語れば、すぐに誰かの死や恐ろしい虚無に行き着いてしまう。
 
・蝋燭一本で、持ちこたえている教室に戻ると、携帯を手に何度か外へ出た。一体なにが起こっているのか、とにかく情報が欲しかった。いくら試しても、やはりメールも通話もネットも使えない。校庭には、避難してきたのだろう百台近くの車が並んでいた。停電のせいで、星が恐ろしいほど見えた。オリオン座が、その内側に含んだ等級の低い星まで見事にくっきりと光っていた。繊細な星空に目を奪われた後、なにげなく海の方向を見て、鳥肌が立った。なにもない。そこが水なのか地面なのかすらわからない、平坦な闇がどこまでも彼方まで広がっていた。だって、そこには住宅地があったのだ。電車が通り、たくさんんお車が走って、商店がつらなっていた。そこに広がっていたのは、血の通った人間の町を根こそぎ引き千切った後に残る、目が潰されるような暗闇だった。
 
・「おれは家に残る。おれらの世代はな、ずっと家や土地を守れって教えられてきたんだ。それに、こんな足で、若いものが逃げる足手まといになるのも辛い。この年で、まったく知らないところへ逃げるのも辛い。放射能ったって、おれは置いてもらった方が楽なんだ
 
・朝食はおむすびが一つとスプーン二杯ほどのもやしの和え物、苺が四分の一子だった。テレビによれば、ろくに食べ物がない避難所もあると聞く。食べさせてもらえるだけありがたい。
 
・福島駅前で、私は車を降りた。本当にお世話になりました、ご恩はずっと忘れません、と頭を下げる。ショウコさんは笑って、「恩なんて考えないで、むこうに帰ったら、こっちのことはきれいさっぱり忘れていいよ。しんどい記憶ばかりで、思い出すの辛いでしょう」こんな、生命を拾って貰ったに等しい恩を、忘れられるわけがない。
 
「解体撤去」の紙が貼られた玄関の板壁には、黒のマジックで丁寧な字が大きく書き込まれていた。『カタフチ家 築百年 長い間、お世話になりました』別れの言葉のそばには、箒(ほうき)が三本、きちんと並べて立てかけられていた。

 

いやあ……リアルだ。ナマナマしい表現力に映像が浮かぶ。震災のことを忘れているなあ。これであらためて防災意識を高めたいよね。オススメです。(・∀・)

 

f:id:lp6ac4:20211026230333j:plain