「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「昭和恋々 あのころ、こんな暮らしがあった」(山本夏彦 久世光彦)

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ワタシは昭和39年生まれ。子どもの頃の昭和40年代には、まだ舗装されていない道路が多かった。雨が降ると水たまりが出来たし、コンビニもなく、正月三が日はすべてのお店が閉まっていた。少年マガジンが130円。駄菓子屋には5円のクッピーラムネやマルカワのフーセンガムが売られていた。小田急線の栢山から小田原まで往復きっぷで子どもは30円だった。それが50年前。懐かしいなあ!
 
さてこの本。「世の中の変化の速度が速くなった今、「十年ひと昔」という言葉ももはや廃れてしまったのだろうか。年号が昭和から平成へと変わって丸十年が過ぎた。改めて振り返ってみると、生活のなかで昭和を感じさせるものがだんだんと消え去っていることに気が付くはずだ。作家の山本夏彦氏と、演出家・作家の久世光彦氏が、エッセイで昭和の暮らしをよみがえらせた。すべての章にタイトルに合うように「あのころ」の写真が添えられており、それが昭和への郷愁をいっそうかき立てる」そのエッセンスを紹介しよう。
・たぶん私たちは、昭和のあのころに、何か大きな忘れ物をしてきたような気がしてならない。もしかしたら、それは途方もなく大きな忘れ物だったのかもしれない。「文化」なのか「教育」なのか、あるいは「精神」「魂」とかいうものなのかーそれはよくはわからない。けれど、いまはない「何か」が、この写真の中には確かに写っているのだ。
 

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▲「姫鏡台」
 

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▲「柱時計」
 

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▲「出前持ち」
 

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▲「露地」
 
露地は「路地」とも書く。どっちでもいいようなものだ、私は必ず「露地」と書く。その方が、湿ってひんやりとした土の感触が、裸足の足の裏に伝わってくるように思うのである。露地に咲く鉢植えの花に、あまり華やかなものは見かけない。そんな露地が夢になろうとしている。日当たりが良く、爽やかな風が吹き抜ければ幸福なのだろうか。私が時折、小雨の露地を拾って歩くのは、あそこに何か忘れ物をしてきたように思うからである。
 

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▲「風呂敷」
 
昔は、男も女も風呂敷包みを持ち歩いていた。和服にも洋服にも似合っていたような気がする。風呂敷は男の子たちの必需品でもあった。鞍馬天狗ごっこは、あれがなければできなかったのである。風呂敷包みを抱えた人を街で見かけなくなり、この頃は大風呂敷」という揶揄さえ使えなくなった。
 

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▲「汽車」
 
汽車にあって電車にないのは「未練」である。このまま行こうか戻ろうか。発車のベルが鳴ってもまだ間に合うのが汽車だった。ちあきなおみ喝采には、「動き始めた汽車に/一人飛び乗った」というフレーズがある。ドアが電動ではないから、未練を断ち切って飛び乗ることもできたし、思い直して飛び降りることもできた。汽車は、窓も自由に開け閉めができた。汽車はスピードが出るまで時間がかかった。追いかけていホームの端ぐらいまでは、並行して走ることができた。白いホームの途切れるところが、未練の切れ目だったのだ。汽車が電車になって、歌の別れがつまらなくなった。
 
その他「不忍の池」「下宿屋」「アパート」「髪床」「質屋」「田園調布」「駄菓子屋」「足踏みミシン」「羅宇屋」「虚無僧」など。

 

そういえば虚無僧って見なくなったね。懐かしいなあ。上野の不忍池があの頃の風景がそのまま残っている場所らしい。行ってみよ。超オススメです。(・∀・)

 

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