「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

【テレビで放映されないコロナ闘病記(14 闘病記その1編)】

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【テレビで放映されないコロナ闘病記(16 闘病記その1編)】

 

※ ワタシのこの闘病記をヒントに、コロナで助かる人もいるかもしれないと、妻の記録と証言をもとに、大幅に修正、更に詳細を記録しましたポイントは3つ。

 

 

 一日の差、一分一秒の差が生死を分ける。

 

 本人の「大丈夫」は、あてにならない。周りで見ていないと異常に気がつかない。

 

3 わずか30分で病状は急変する!!!自分で歩いて救急車に乗った人が、3時間後には助からないかもしれない!

 

 

※ お見舞い品などは、お断りさせていただきます。お気持ちだけ頂戴いたします。

 

ワタシ、小野塚テルは、新型コロナウィルスを発症し、8月12日〜26日までの15日間入院し、先日、無事退院致しました。せっかくの貴重な体験なので、テレビでは放映されない「リアルな」新型コロナウィルス闘病記を時系列で残したいと思います。あとでわかったことですが、妻が詳細なメモを残しています。
 
 
7月29日(水) 体温平熱 この頃よりなぜか食欲減退 どこか変だ お酒を控えよう
 
8月  9日(月) 体温平熱、咳も出ない。トイレに行くと息苦しいくらい、だが、
         どこか 何か変だ 体調が良くない、嫌な予感がする 
          近所のクリニックを調べてPCR検査申込み。明日の16:30予約。
 
もし陽性だったとしても お盆休みを利用して自宅療養で治せばいいもし隔離されたとしても、 ホテルでYouTubeを見ながらのんびり夏休みを過ごせばいい、と能天気に考える。(笑)
 
8月10日(火)10:00 自宅で、吉田拓郎のDVDを観る。その余裕があった。(笑)
 
        16:30    クリニックでPCR検査。ここは自宅からバスで5分だが、
クリニックのスタッフより「万が一のことを考えて公共交通機関は使わないでほしい、タクシーもNG」と言われ、やむを得ず自転車で出かける。これがトンデモナイ地獄の苦しさ!
 
いつもは普通に登れる上り坂が登れない、息が切れる、自転車を引いて歩いても苦しい。なんでこんなに呼吸が苦しいのかっ!?ぶっ倒れそうになりながらも、クリニック到着。
 
PCR検査で唾液が出ず、2時間掛かって採集。結果は明日。帰りの坂道の下りがまた地獄。息が切れる。苦しい。呼吸がデキない。途中で何度も転倒しそうになる。10kmくらいのスピードのノロノロ運転でも、フラフラし歩行者に1名にぶつかりそうになり、その後1名にぶつかる。謝る、ゴメンナサイ。ナントカ帰宅。妻のメモ「呼吸、速い、浅い」
 
8月11日(水)夜 クリニックが休診日にも関わらず、一日早く「陽性」の連絡をいただく。この一日の差が大きかった!明日、保健所から連絡があるとのこと。妻のメモ「呼吸、浅い 寝たり起きたり」
 
→ 1 一日の差、一分一秒の差が生死を分ける。
 
8月12日(木) 朝36.7℃。妻のメモ「ノド乾く、食欲なし、プリンも食べられない。  
        飲むゼリーはOK」
       朝、保健所に連絡したがつながらず。
 
       11:45 保健所から電話。ホテルもいっぱいで、自宅療養です。
       
妻が電話で「自宅療養じゃゼッタイにダメです。呼吸が速い、モウロウとしている、おかしいんです」この時、パソコンでコロナのことや、病状について調べようとするが、検索ができない。パソコンが使えない。意識がモウロウとしている。
 
        12:07 保健師さんからワタシに電話、パルスオキシメーターを届けるとのこと。
                          13:00 体温一時39.6℃。でも普通だった。ツラくなかった。
                          14:00  パルスオキシメーター届く。妻は「98%」
ワタシはエラーが続き、測定できない。やっと測定できた数字が「77%」(平均95%〜99%、93%以下が異常)保健所に電話。トンデモない数字に、「それは、生きている人の数値じゃない!いますぐ救急車呼んでっ!」
 
       14:13 救急車到着。3人防護服で自宅内へ。救急隊員「苦しくないですか?」「はい、大丈夫です」「自分で歩いて下まで降りられますか?」「はい、大丈夫です」
     
※ 酸素を十分取り込めていないのに息苦しさを感じないケースがあり「ハッピー・ハイポキシア」=「幸せな低酸素症」と呼ばれている。脳に酸素がいかないと、ツライとか苦しいとか認識しなくなる。
 
2 本人の「大丈夫」は、あてにならない。周りで見ていないと異常に気がつかない。
 
 
       14:20〜15:30 救急車に乗る。酸素吸入開始。受入先探し
隊員が車内で電話を掛けまくる「酸素量77%の重症患者です。いま、酸素を入れて95です。受入出来ませんか?」と1時間くらい粘る救急隊員。「……ダメかあ……」毎回、それを聞くたびに「そおかあ……オレは、中等症じゃなくて重症だったんだあ……」と知る。        
       15:34 市大センター病院「ベッドが満床で入院できないが、診察、検査のため、一旦受け入れる」とようやく回答をもらい、救急車が移動。病院到着。CUに入る。これがラッキーだった!
 
       17:02 病院から妻に電話。酸素10リットル吸って 77% → 90% いま、落ち着いているので、これから他の病院転院します。
 
       17:29 担当医師から妻に電話あり。急激に悪化して、両肺がまっしろ、肺炎と肺塞栓症。とても悪い状態、本当に悪い状態になったので、人工呼吸器、人工心肺が必要かもしれない。転院できる状態ではなくなったので、転院せずにウチで診ることにします。おどすようかもしれないが「助からないかもしれないです」と何回も言われる。妻のメモ「ショック」
 
3   わずか30分で病状は急変する!!!自分で歩いて救急車に乗った人が、3時間後には助からないかもしれない
 
8月13日(金)朝4時過ぎ 雨 鳥が鳴いている「助かったー!助かったー!」と聞こえる。リビングの網戸にセミがとまっていた。
 
病院からまた連絡しますと言われる。ところが丸一日電話がない。忙しいと思ったのでこちらからは電話はできない。
 
8月14日(土)雨の朝。クロアゲハが飛ぶ。
連絡しますと言われたのに、丸一日電話がないので、こちらから電話したら、看護師「何も答えられません。聞きたい場合は、先生に予約を取ってください」といわれる。担当医は休み。担当じゃない先生が、カルテを見ながら、病状を説明してくださる。「(連絡しなかったのは)本当に申し訳有りません。こちらの病院の落ち度です。今後は連絡するよう必ず伝えます」と謝罪の言葉がありました。
 
→ 病院から連絡する、といっても掛かってこない場合は、こちらから電話をすること。看護師さんは何も答えてくれない。
 
気管挿管でもおかしくなかった。酸素マスクで、酸素10リットル → 5リットルに改善。肺炎と肺塞栓症。レムデシビル、ステロイド、アクテムラ、リクシアナ。CT造影剤で判明したが、肺の血管の空気のやりとり、ガス交換がうまくいかない。炎症はよくなってきている。安心はできないが、改善されている。この間、ずっとワタシは意識がある。「何か、いろいろとバタバタとやってもらってるなー!」というくらい。「三途の川」は見えませんでした。(笑)
 
いまから思うと奇跡の生還でした。そして妻のアドバイスがなかったら死んでました。そして妻を支えた多くの方のアドバイス、勇気づけ、本当にありがとうございました。おかげさまで、日に日に体調はよくなっていっています。