「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「バカの理由(わけ)役立つ初期仏教法話12」(アルボムッレ・スマナサーラ)

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タイトルに惹きつけられて読んだら、なんの、なんの!!!奥が深いじゃあーりませんんか!?(チャーリー浜ふうに)

 

なぜ、われわれはバカなのでしょうか。バカ(無智)は生命の性質です。心は、塩漬けのように無智に漬かった「無智漬け」なのです。無智は、われわれの心に煩悩の埃をくっ付ける無色の接着剤です。「怒り」「欲」「憎しみ」「嫉妬」などの悪感情の裏には必ず無智があります。しかしこの無智は治すことができます。無智も因果法則であらわれるものだからです。無智をガラスのように壊したなら、もう二度と元には戻りません。ブッダが発見した無智の壊し方をお教えします」そのエッセンスを紹介しよう。
 
仏教では、バカではない人間などいないのだ、といいます。もし自分のことをバカと思うならば、それは相当の知識人だ、というのです。世間でいうバカと仏教でいうバカとは違います。もっと本質の、生命の根幹にかかわる「バカ」なのです。
 
仏教では「バカ」のことを専門用語で「無智」といいます。「無智」とは「この言葉なくして仏教は語れない」というほどの重要なキーワードです。
 
すべての生命に無智があるのです。ワンちゃんにも、ミミズにも、人間にもあります。「生命なら無智があります」という話になるのです。仏教の「無智」は生命にレベルをつけません。
 
なぜ、お釈迦さまは「無智」という単語をつくったのでしょうか。それはお釈迦さまが生きる苦しみを乗り越えてしまったからなのです。生きる苦しみを乗り越えた状態で生命を見たところで一切の生命には無智があります」と、お釈迦さまが発見したのです。そして「自分はそれを破りました」と語られたのです。実は、お釈迦さまと、悟りに達した阿羅漢の人以外には、すべての生命に「無智」があります。
 
「無明・無智漬けの人が善行をすると、心は善になります。無智があっても『行い』はなんでもできますよ。悪行為もできるし善行為もできます」
 
仏教が目的とするところは、解脱です。心の揺れから完全に解放された状態です。ではどうすれば解脱できるかというと、無明をなくすことです。無明をなくすと解脱に達するのです。つまり、生命だれもが根源的に備えている無智を破ることが、解脱であり、仏教の最終的な目標なのです。
 
その他、「バカを構造的に理解するー無智の仕事」「無智とは「貪瞋痴」の「痴」」「バカとの付き合い方ー無智を制御する」「バカの正体ー四人の親分衆」「バカの誕生ーそれぞれの生命、それぞれの無智」「バカの敵ー無智は恐怖を生み出す」「無智な人は自分を自分の敵にする」「バカの治し方ー無智には特効薬がある」「すべてのものは因縁による一時的なもの」「ブッダは真理を語る」「仏説の不思議な力」「バカの壊滅ー心を育て、訓練する」など。
 
仏教の「無智」と諸宗教の「天国」と「原罪」の比較は奥深いなあ〜!「バカ」を少し理解しました。オススメです。(・∀・)

 

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