マス・オーヤマの、いや梶原一騎の『空手バカ一代』。少年マガジンに連載時から夢中になった。そしてこの本。『巨乳バカ一代』!(笑)
「昭和から平成に多くのグラビアアイドルを輩出してきたイエローキャブ。その創業者である野田義治と芸能の世界の裏側を描く一冊」そのエッセンスを紹介しよう。
・「女の顔といいうのは胸から上のことを言うのです」 野田の名文句です。
「堀江しのぶが巨乳だとは知らなかった」 日本中を巨乳まみれにした男・野田義治が予想外の発言をした。「プロフィール写真は服来ているやつだけだったから。 胸の大きさなんてわからない。 堀江しのぶの顔がいろんな意味でいいなあって思った顔だったんで す。“和顔”。 要するに絶対的な二日本人の母親像ってあるじゃないですか。 男も女も。もって生まれた母親像ってあるはずなんですよ。 僕はそれが和顔だと思っているんです」
・平成は巨乳の時代だった。 野田義治率いるイエローキャブに集まったタレントたち。 堀江しのぶにはじまり、かとうれいこ、細川ふみえ、雛形あきこ、 山田まりや、小池栄子、佐藤江梨子、MEGUMI、根本はるみ… …巨乳を共通項とした彼女たちは、グラビア、写真集、 テレビを制覇していく。野田義治が手がけたマネジメントは「 巨乳ビジネス」と呼ばれた。
・胸の大きさで売り出すアイドルというのは当時存在せず、 むしろ胸の大きさは愛くるしさを売りにするアイドルにとって、 大人の性を感じさせるマイナス要因でしかなかった。 70年代半ば、アグネス・チャンはアグネス・ ラムと水着を着た写真を撮った。アグネス・ チャンは胸の谷間すら見せなかった。 80年代のアイドル全盛期の河合奈保子は、 巨乳を全面に出して売出しにかかったわけではなかった。 あくまでも笑顔が売りだった。 堀江しのぶは胸の大きさを隠すこともなく、 物怖じしない明るいキャラクターが製作者から好感をもって迎えら れた。堀江しのぶは芸能界最強のジジイキラーであった。 売れに売れる堀江しのぶ。
・「後にも先にも、こいつ最高って思ったのは、飯島直子。“ 野田さん、ポラ(ロイド写真)持ってきて”っていうから“何、 するんだよ”って行ったら、 自分のアソコに水着の上から割れ目つけるんだよ。自分で。 その次には“おしぼり、ちょうだい” って言って土手の部分に入れて盛るの。“ こういうのも必要でしょ”って。ハー、すげえな、この子は。 頭の回転がすごいよかった。物怖じしない。
・“巨乳”っていう言葉の名付け親は本橋信宏だって。 ダイヤモンド映像から“毎月1日は巨乳の日”って、 松坂季実子の新作が出たでしょ。 そのとき内容紹介のキャプションで巨乳ってあなたが使っていたん だよ。間違いない。 それからマスコミが巨乳巨乳って使い始めたんですよ。 そこからですよ、巨乳ってひろまったのは。おれはね、 本当はきらいだったんだ。“巨乳”って言葉が。ハハハハ。
・「顔じゃないんだよ。胸なんだよ。胸が顔なんだよ!」
・野田が抱えるタレントたちの巨乳に、 既存の下着メーカーが追いついていかなかったのだ。 巨乳黎明期ならでは悲鳴であった。 そして武田久美子の貝殻ブラと共に歴史的水着となる、 きわどい水着を細川ふみえが着用することになる。
・「AVをこれだけ知らしめたのは村西とおる。 だから業界がいまもある。AV業界はもっと感謝すべきだね、 あの人に。あのおっさんは“エロが空から振ってくる” なんて言って、何言ってるんだとおれは思ったけど、 それが現実になったでしょう。『スカパー』 をはじめとした衛星放送で。あの人、天才だから、 発想力とかすごいからね」
・70年代当時はほとんどが生バンドです。 最初に出演番組が決まったらそこの番組に譜面をまず届ける。 営業に行くときは譜面が20キロか30キロくらいあるわけですよ 。スタジオの全奏者に譜面を渡すわけです。 フルバンドで18人ですけど、 1曲18枚の譜面が入ってるわけですよ。 それが予備も含めてワンステージで8曲か10曲。 それが20曲あるわけじゃないですか。 だいたい30キロくらいになっちゃうわけですよ。 譜面が傷まないようにカバーつけるから本みたいになってる。 それをフルバンド18人に、 よろしくお願いしますってこう渡していくんです」 野田義治は上司から「譜面まいてこい!」 と言われてもとっさに何をやっていいのかわからなかった。
・「夏木マリ、いしだあゆみ、 朝丘雪路のお三方のマネージャーをやらせていただいたことがいま の僕のすべての財産。この体験があったから、いま何でもできる。 この経験がなかったら何もできないです。 でもいまの若いマネージャーっていうのは、これがないんです。 下積みがなくていきなりマネージャーを始めちゃうんです。 だからすぐ終わっちゃうんです。下積みを認めようともしません。 たった半年が下積みだと思ってる」
・「できるマネージャーとは一言で言えば、“しぶとい”こと。 人との付き合いもそう、仕事でもそいう、 この世界で生き抜いてやろうという心構えがあるやつですよ」
・2004年11月、人生最大のピンチが突如襲った。 赤字経営の責任を問われて、 生み育てたイエローキャブから追放されてしまったのだ。 このとき野田義治58歳。まだまだ男盛りの時期でもあった。 絶頂のときに凋落はやってくる。野田が去ったイエローキャブは、 新人が育たず事業も頓挫、代表が自殺する悲劇がおきた。 栄光に包まれたイエローキャブは2015年11月12日自己破産 という結末に終わった。 1980年の創業から35年目の悲劇だった。
「渋る両親を説得したパワーワード」「食う・寝る・ やるの三拍子そろった共同体」「グラビア2秒説」など。
ワタシはどちらかというと「貧乳」「微乳」が好きだけどね。(笑)男性必読だね。オススメです!(・∀・)