小学生の頃、マンガが好きで、お小遣いのほとんどをコミックスに使っていた。将来の夢はマンガ家。休み時間はずっとマンガを描いていた。手塚治虫と赤塚不二夫に憧れた。伝説のトキワ荘のような場所で一日中マンガを描いていたかった。しかし、絵が全然うまくならず、才能の枯渇を感じて6年生で筆を折った……早っ!!!(笑)
さてこの本。『課長 島耕作』で有名な人気漫画家の弘兼憲史氏。松下電器出身なんだよね。ワタシは『黄昏流星群』が好き。いつまでもずっと恋愛していたいっ!(笑)
「「上司と合わない」「仕事が面白くない」「未来が見えない」等々、人生は暗く捉えればいくらでも暗くなる。でも、どんな経験もそのうち必ず役に立つ。細かいことは気にせず、目先の目標に全力を尽くす。そう考えれば嫌な上司の接し方も変わってくるものだ。----人気漫画家が生い立ちから社会人時代、そして「島耕作」シリーズ等、ヒット作の裏側まで、キャリアを振り返りながら語る。読むと気分が晴れて元気になれる人生論」そのエッセンスを紹介しよう。
・「 いやな仕事でえらくなるより 好きな仕事で犬のように働きたいさ」 このセリフは私自身の本音でもあります。 犬のように働き続けられることに喜びを感じています。仕事と私生活 のバランスはともかくとして、 仕事と幸福感は実にうまく共存しているからです。
・ノンビリや悠々自適からは程遠いものです。もう20年以上、 それこそ犬のように働き続けてきたと言っても過言ではありません 。それは還暦を過ぎた今でもまったく変わりません。漫画が『社長 島耕作』が月3本、『係長 島耕作』が月1本、『黄昏流星群』が月二本。 それ以外の活字連載が週刊誌二誌。 他にラジオのレギュラーが週二回。 さらに飛び込みの相手からの取材、 自分から出向く取材などがあります。 朝10時から午後一くらいまでファミレスでアイディアを練り「 ネーム」を描きます。 それ以外に依頼された映画評などの書き物をこの3時間で片付ける 。午後1時から夜中2時くらいまで、一日12〜 13時間はスタジオで7人のアシスタントと共にひたすら漫画を描 く。これが一週間のうち6日間の基本的な流れです。
・漫画を描いている最中は、 一心不乱にひたすらペンを走らせています。 気分転換は近所の西友ストアに言って、 献立を考えて材料を買ってくるくらいです。いまでも「 同じ釜の飯」を喰いながらアシスタントたちと仕事をしています。 結局、こういう仕事をしている以上は、 土日を休んで家族と過ごす、といった家庭との両立は無理だ。 そう覚悟しています。 漫画を描くことが今でも楽しくて仕方がないのです。 おそらく音楽家が音楽を奏でているときの感じているであろう高揚 感と同じようなものを描きながら感じているのです。
・なぜ日本の漫画文化が世界でこれほど突出して発達したか、 これには戦後存在した3つの要素が関係しています。 第一は手塚治虫さんという大天才の存在です。第二に、 漫画の読み手として、団塊の世代が存在したこと。第三が、 漫画をプロデュースしたのが大手出版社だったということです。 世界各国では漫画を出している雑誌社は小さいところが多いのです 。
・不倫をして刀傷沙汰などというのは論外としても、 年を取っても恋心を持つというのはいいことだと思うのです。 体の中の免疫細胞であるNK(ナチュラルキラー)細胞を活性化するとのことです。その意味では、 一人でふさぎこむような老後を送る訳ではないし、恋愛に限らず、 老人こそ楽しいことを経験して、 人生を明るく生きればいいと思うのです。私自身、 暇はないけれども、楽しく生きられているのは、 仕事のおかげです。漫画を描いていると、 非常に自分がリラックスできるからです。 銀行で経理のような仕事をずっとしていたら、多分、 ストレスで死んでいたでしょう。そういう仕事と比べれば、 今の仕事はやっていること自体が遊んでいるようなものです。
・私はもともと長期的な展望を考えたりしないのです。 人生そのものに長期的なプランを考えたことがない。 くよくよしてばかりで人生を楽しまなければ、 損をするのは自分自身です。 あまり深刻に考えても仕方がありません。時には「気にしない」 というスタンスも選択肢として存在する。 そう考えてもいいのではないでしょうか。人生、 楽しんだ者勝ちなのですから。
いいねえ。読後、すーっと爽快感が沸き起こります。オススメです!(・∀・)