「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「松竹と東宝 興行をビジネスにした男たち」(中川右介)

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ワタシが小学生の頃の映画館といえば小田原のオリオン座東映東宝だったかな。東映まんがまつり」は、観たくて観たくて、けど一度も観ることはなかった。当時は、映画はゼイタクなものだったんだろうなあ、ウチにとっては。

 

さて、この本。「松竹」は創業者である白井松次郎大谷竹次郎という双子の名前を合わせたものだ。
東宝」は東京宝塚にちなんだものであり、宝塚歌劇団に端を発する。本書は松竹兄弟と東宝、宝塚を含む阪急グループの創業者の小林一三の物語である。劇場の売店の子と裕福な商家に生まれた慶應義塾卒という対照的な両者は看板役者、大劇場をめぐって数十年のあいだ、しのぎを削る。それ今日の松竹による歌舞伎の独占、阪急グループの東宝、宝塚の繁栄につながっていく――。膨大な資料を読み解いて描き出した、新たな演劇史」そのエッセンスを紹介しよう。

 
400年の歴史を持つ歌舞伎が、なぜ120年の歴史しかない松竹のものになっているのか。日本最大の演劇・映画会社である東宝が、関西の鉄道会社・阪急と同一グループなのはなぜか。この二つは演劇界の知っているようで、よく知らない話」の代表だろう。それを歴史物語として記したのが、本書である。松竹と東宝というい二つの企業の創業の物語で、当初この二つはまったく関係なく進むが、やがて激突する。
 
小林一三の前途は暗い。新しい鉄道会社は株式市場から見放されている。しかし小林は鉄道という事業に無限の可能性を見るようになっていた。これは、これまでの鉄道経営者とはまったく違う発想から描く未来像だった。鉄道事業の拡大とは、路線の延長によって乗客数を増やして利益をあげていく。しかし小林は「線」ではなく「面」という発想をした。小林は誰も住んでいない一面の田園風景に、未来の住宅地を見たのだ。ここには人はいないが土地は山ほどあるー。「山ほどある」を「売るほどある」に変換できたのが、小林一三の天才というものだったそれまでの鉄道会社は鉄道そのもので利益を出そうとしていた。実際、儲かる路線はそれで利益が出ていた。だが、小林は鉄道を通すことでの都市開発を思いついたのだ。都市開発」という言葉がない時代に
 
「大失敗から大成功が生まれた」という物語は、日本初の屋内プールを作ったという「先見性」失敗したと認めるとすぐに撤退した「決断力」、そしてプールを劇場にしようという大胆な「発想」小林一三の天才性の象徴として流布、拡散したわけだが、これは巧妙の歴史の書き換えだったようだ。
 
・宝塚少女歌劇は三越少年音楽隊から着想したとして、なぜ「少年」が「少女」に「音楽隊(吹奏楽)」が「唱歌隊」になったのか。これは単純で、男子よりは女子の方が日給が安くすむのと、吹奏楽は楽器を備えなければならないし指導するにも時間と費用がかかるが、唱歌隊なら楽器は買わなくていいし、使い方を教える必要もない。つまり、すべて財政的理由だった。そもそも少年少女の楽団というのが、大人よりも人件費が安くすむと発想だ。
 
・小林が演劇興行へと乗り出すのは「好きだった」のが最大の理由ではあろうが、それまでの一匹狼的な興行師たちによる魑魅魍魎が跋扈する業界に松竹という巨大興行会社が近代的経営を取り入れながら事業拡大を続けていたことが、刺激になっていたのではないか。

 

一度、タカラヅカ、観てみたいんだよねー!見方も変わるだろうね。オススメです。(・∀・)

 

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