昭和45(1970)年の名曲「戦争を知らない子供たち」。ジローズ(杉田二郎、森下次郎)だよね。その戦争を知らない子供たちは、もう75歳になろうとしている。(・o・)!!!
さてこの本。「多くの戦争は自衛の意識から始まる。あの国を侵略してやろうなどと始まる戦争はほとんどない。そして自衛の意識が発動したとき、被害の記憶だけでは踏みとどまれない。加害の記憶から目をそむけず、何度でも自分に刻みこむ。それを自虐史観と呼びたければ呼べばよい。胸を張って自虐する。この国が、再び「戦争」を選ばないために。今、最注目の論考、待望の文庫化」そのエッセンスを紹介しよう。
・南京虐殺博物館の正式名称は「南京大虐殺紀念館」だ。 中国での正式名称は「侵華南京大屠殺遇難同胞記念館」。「虐殺」 ではなく「屠殺」。「家畜のように殺された」 との意味が込められているのだろうか。「虐殺」と「記念」 のコラボは落ち着かない。
・中国側の主張は30万人。日本側は10数万人。 どちらが正しいのか。多くの場合、被害側は多めに見積もるし、 加害側は少なめに申告しようとする。それは世の理だ。 大切なのは原因や理由とメカニズムだ。 なぜなら歴史を学ぶことの理由は、 同じ過ちを起こさないようにするためなのだから。
・なぜ同時の日本人はこれほど残虐になれたのだろう。 その答えは明らかだ。殺された人たちが自分と同じように、 泣いたり笑ったり愛したり愛されたりする存在だと思って( 気づいて)いないからだ。つまり想像力が停止していた。 そんなとき人は、優しいままに残虐になれる。 しかも優しいままだから摩擦がない。 その意味では日本だけでない。 敵国日本に原子爆弾を投下したとのニュースを聞いたとき、 ほとんどのアメリカ国民は歓喜の声をあげていた。
・北朝鮮国内に入ると同時に、 持参したパソコンや携帯電話は繋がらなくなった。 つまり国外と遮断された。スマホを手にする人は多いが、 すべて国内限定だ。つまり一般国民は外の世界を知らない。 新聞やテレビは国家に統制されている。 だから自分たちの存在を相対化できないし客観視もできない。 たったそれだけで、人は信じられないほど簡単に現状の態勢に馴致している。かつての日本もそうだった。 あの時代にネットもテレビもない。 新聞とラジオは国家と軍部に統制されていた。 だから敵対するアメリカなど欧米の兵士たちは鬼畜だ。 中国や朝鮮の人たちはチャンコロとチョン。 自分と同じように生きとし生ける人だとの思いは停止している。
・多くの戦争は自衛で始まる。しかも国家は殺戮のための武器をたぷりと持っている。多くの人が傷つき、炭になるまで焼かれ、キャタピラで踏みにじまれ、殺害されてきた。その歴史を踏まえてこの国は、戦争が終わってから、これからは武器を保たないと決意して宣言した。でもその解釈が、多くの国民の賛同のもとに、今変えられようとしている。一度変えたならもう戻らない。考えよう。自衛権とは何か。何を何から守るのか。その結果として、何をどのように予測するのか。すべきなのか。
・囚人とか宗教者とか南極観察隊とか遠洋漁業とか、長期にわたって禁欲しなければならない仕事や立場はたくさんある。宇宙パイロットとか災害救助とか炭鉱作業員とか原発作用員とか、命をかける仕事もたくさんある。彼らも「慰安婦制度が必要なことは誰だってわかる」存在なのだろうか。なぜ兵士の性欲だけが全面的に肯定されて、野放しにされなくてはならないのか。
その他、「あたし、じゅんちゃんときちゃったんですー朝日オワタ 今こそ徹底的に叩け」「皇室ですら、多くの渡来した人や文化で成り立っている」「猿も蟹もおむすびを選ぶのは当然だ」「閔妃(みんぴ)暗殺(乙未(いつび)事変)事件」「タイトルを勝手につけるな。批判するなら最後まで読め。絶対にまとめるな」など。
……新型コロナウィルスは「第三次世界大戦」かもね。「大惨事」か……改めて自衛について考えたい。オススメです!