渥美清こと寅さんが亡くなってもう24年になるんだねえ……信じられないねえ……。心の中で生き続けてるねえ……。
「寅さん」は終わらない…。最終作ロケでのロングインタビュー、渥美さんを敬愛した人々の貴重な証言、60時間を超える取材ビデオが、俳優として、人間としての渥美清を甦らせる」そのエッセンスを紹介しよう。
・(黒柳徹子)「その頃、家に電話が入ってた。留守番電話に「 お嬢さん、どうしてます?元気ですか。ぼくはもうだめです。 お嬢さんいつも元気でいいですね。じゃ」って。入ってた。 だけど、声はかすれていたけど、本当に死んじゃうなんて、 思っていなかった」
・(谷幹一)「渥美やんは元気な頃、 常々ぼくたちに言ってました。「役者は、 どっかで野垂れ死にするのが当たり前なんだ」って。どっか、 誰もいない田舎の道端でころっと死んでるのを、『なんだ、おい、 死んでるよ』って。『これ、昔役者だったんじゃないか』 と言われたい」。それから「役者っていうのは、 こんな崖っぷちを歩いているんだ。 ちょっとこっち行けば落っこっちゃうんだよ。 落っこちないように踏み止まっているのが、役者なんだよ」 なんて、よくぼくは言われました。寅さん、 テキ屋で啖呵売やってますよね。あれは大衆演劇なんですよ。 渥美やんは、それに憧れていたんんですね。
・舞台の場合、演出家が「こうやって、こうやってください」 って言いますね。あの人は、その三倍くらい上をいきますからね。 演出家が考えていることの。「寅さん」の一本目で、 女に振られちゃって歌を歌っているでしょ。あれなんか、 もう絶対、大衆演劇。大衆演劇で、あの音楽かかるんです。その、 うわーっとしたのを踊るわけですよ。渥美ちゃんは、 ちゃんと自分で歌っていた。映画の中で。「あー、 この人はシンから大衆演劇だったんだなあ」って、 つくづく思いますね。あの辺のすごさ。あれはね。 年寄りから若者まで、全部つかむんですよ。
・(篠原靖治)48作の打ち上げから帰る時に、「渥美さん、 お疲れ様でした。じゃ、また49作をやるときはお願いしますね」 と言ったら、こうやって手を振って「できないぞ」 って言うんですよ。青木さんという方に電話した時にも「もう、 オレだめだよ。仕事できないよ」って。「オレはね、 全然知らないところへ行って、 枯れ葉のようにふわっといなくなっちゃうのがいちばんいんだ」 って行っていました。尾崎放哉さんですか。 あの方をとても思っていました。ああいう詩人の役をやりたい、 黙って静かに亡くなっていった、自分もそうしたいと言って、 本当にそのように逝ってしまいました。
・(山田洋次)ぼくは渥美さんから、28年間にわたって大変な、 いろいろな影響を受けてきたし、ずいぶん教えてもらった。 ものの考え方とか見方とか。なんていうか「正しい人」 って言いますかね。迷ったら、渥美さんにきけばいい。 どんなことでも、 渥美さんは常に正しい返事をくれる人だったと思います。 渥美さんは別格の人です。 渥美さんの持っている聡明さと優れた判断力、そしてあの品格は、 日本の俳優で比べ得る人は誰もいないと、ぼくは思います。 しみじみと思いますね。
……しみじみとメッセージが伝わるねえ。母が渥美清さん、好きだったなあ!オススメです。(・∀・)