「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発」(門田隆将)

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死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発 (角川文庫)
 

東日本大震災から9年。奇しくも映画「Fukushima50」を公開中にワタシの元にこの本がやってきました。これはやっぱり必然だね。(笑)

 

2011年3月、日本は「死の淵」に立った。福島県浜通りを襲った大津波は、福島第一原発の原子炉を暴走させた。電源喪失、注水不能放射線量増加…このままでは故郷・福島が壊滅し、日本が「三分割」されるという中で、使命感と郷土愛に貫かれて壮絶な闘いを展開した男たちがいた。あの時、何が起き、何を思い、人々はどう闘ったのか。ヴェールに包まれた未曾有の大事故を当事者たちの実名で綴る」そのエッセンスを紹介しよう。

 

・私には、東日本を襲った大地震津波によって起きた福島第一原発事故で、どうしても知りたいことがあった。それは、考えられうる最悪の事態の中でえ、現場がどう動き、何を感じ、どう闘ったのかという人としての「姿」である。全電源喪失注水不能放射線量増加、そして水素爆発……あの時、刻々と伝えられた情報は、あまりに絶望的なものだった冷却機能を失い、原子炉がまさに暴れ狂おうとする中、これに対処するための多くの人間が現場に踏みとどまった。そこには、消防ポンプによる水の注入をおこない、そして、放射能汚染された原子炉建屋に何度も突入し、“ 手動 ”で弁を開けようとした人たちがいた。
 
・取材を続け、しだいのにその姿が輪郭を表わし始めたのは、年が開けて2012年になってからである。それは、当初予感した通り、やはり想像を絶するものだった極限の場面では、人間は、強さと弱さを両方、曝け出す。日頃は目立たない人が土壇場で驚くような力を発揮したり、逆に普段は立派なことを口にする人間が、いざという時に情けない姿を露呈したりする。
 
吉田昌郎(まさお)所長「もう駄目かと何度も思いました。私たちの置かれた状況は、飛行機のコックピットで、計器もすべて見えなくなり、油圧も何もかも失った中で、機体を着陸させようとしているようなものでした。現場で命を賭けて頑張った部下たちに、ただ頭が下がります」
 
彼らは、死の淵に立っていた。それは、自らの「死の淵」であったと同時に、国家と郷里福島の「死の淵」でもあったそんな事態に直面した時、人は何を思い、どう行動するのか。本書は、原発の是非を問うものではない。あの時、ただ何が起き、現場が何を思い、どう闘ったか、その事実だけを描きたいと思う。本書は、吉田昌郎という男のもと、最後まであきらめることなく、使命感と郷土愛に貫かれて壮絶な闘いを展開した人たちの物語である。
 
・「トイレは水も出ないから悲惨ですよ。流すこともできませんからね。みんなして仮設のトイレを運んできて、それが一杯になったら、また次の仮設トイレを組み立てながらやってましたけど、とにかく真っ赤でしたよ。みんな、血尿なんです。ずっと真っ赤でした。誰もが疲労の極にありましたからね」およそ600人が退避して、免震重要棟に残ったのは「69人」だった。海外メディアによって、のちに「フクシマ・フィフティ」と呼ばれた彼らは、そんな過酷な環境の中で、目の前にある「やらなければならないこと」に黙々と立ち向かった
 
・吉田。現場に入っていく部下たちのことを「私が昔から読んでいる法華経の中に登場する “ 地面から湧いて出る地涌(じゆ)菩薩 ” のイメージを、すさまじい地獄みたいな状態の中で感じた」
 
・杉浦「部下たちが、疲労困憊のもとで帰って来て、再びまた、事態を収拾するために、疲れを忘れて出て行く状態ですもんね。まさしく菩薩が湧き上がって不撓不屈の精神力をもって惨事に立ち向かっていく姿に見えたのだと思います。そりゃも凄いなあと思いましたねえ部下の姿を吉田ならそう捉えたと思います。信頼する部下への吉田の心からの思いやりと優しさを感じました。

 

……これはフィクションではぜったい書けない、リアルすぎる!「新型コロナウィルス」にもこの姿勢で取り組んでいる人たちがいるんだろうなあ。人間って凄いなあ。これは日本人必読です。超オススメです。(*_*)

 

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死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発 (角川文庫)