一日一冊一感動!小野塚テルの『感動の仕入れ!』日記

タイトルは、『一日一冊一感動!小野塚テルの感動の仕入れ!』日記。 毎日の読書、映画、グルメ、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。(ときどき「酒場のギター弾き」「B級グルメ」も紹介します)

「わが人生の時刻表」(井上ひさし)

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 ひょっこりひょうたん島」「吉里吉里人」で有名な井上ひさし氏。中学のとき「ブンとフン」を読んで夢中になったなーあ!(・∀・)

 

「現代の戯作者・井上ひさしが30年以上にわたり書きついだエッセイの中から、とりわけユーモアに富む珠玉を取り出し一冊にまとめる。人生の転機になにをしでかしたか?時代を映す鏡は本当は何処にあるのか? なにげなく使っている日本語の意味は?文字通り抱腹絶倒体験の中から幾多な「世の中」が見えてくる。エッセイで綴る鬼才の半生」そのエッセンスを紹介しよう。
 
・私の場合、まず「ギャグ(笑わせる工夫)は逆(ぎゃく)」という語呂合わせみないた方法がある。たとえば、一人の男が椅子に腰を下ろし、ポケットからリンゴとナイフを取り出し、ゆっくりとリンゴの皮をむきはじめる。やがてリンゴの皮は一本の紐となって長く垂れ下がる。男は黄金色の実をぽいと背後に放り捨て、皮を美味しそうに食べ始めるというのがその古典的基本パターン。医師が健忘症で患者が診察する、恋人同士が、じつは女が男で、男のほうが実は女だった、など。
 
表なら裏、上とくれば下、右と声が掛かれば左、前といわれれば後、黒なら白、肯なら否、善なら悪、山なら川と、逆へ逆へとはなしをねじ曲げる。この「逆」説によるおかしみは、日常の、常識の世界とばからしさに還元された世界とを、だしぬけに結びつけることのによって見物人から笑いを引き出す。
 
・ふとしたことから浅草のストリップ小屋で働くことになった。文芸部員、というと格好はいいが、その実体は雑役で、踊り子たちの注文したラーメンを上げ下げしたり舞台の袖に陣取って緞帳を上げ下げしたり舞台中央のマイクを袖からスイッチで上げ下げしたり暗転の間に素早く舞台の小道具を上げ下げしたり、というように、いやに上げ下げする仕事が多かった
 
原稿遅延常習犯の言い訳もわれながら可愛らしかったと思う。「風邪を引きました」「腹をこわしましました」「懐かしい友人が訪ねてきまして」「母親が上京してきたものですから」「乗るべきバスとそうでないのを取り違えまして」自動車事故を見物しているうちについ」「大家の飼い犬が靴を咥えて行ってしまいまして」「大家の猫が原稿の上にとび上がりインクを飛ばしましたので、書き替えに時間をとられまして」「大家が家賃の値上げを申し渡しに来ましてので、それは強欲だと喧嘩になりまして」「大家が小火(おや)を出しまして」「大家が危篤になりまして」「大家が見合いをすすめるので、それに乗って相手の娘に逢いましたので」「大家の夫婦の大喧嘩の仲裁に入りましたところが、これが結構揉めまして」という具合で、大家を悪者にしておけばたいてい事が済んだのである。
 
「接続詞「ところが」による菊池寛小伝」「池波さんの振り仮名」はオモシロイ!古典的だけど、いまでも使えるユーモアの実例、満載。オススメです。(・∀・)

 

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