一日一冊一感動!小野塚テルの『感動の仕入れ!』日記

タイトルは、『一日一冊一感動!小野塚テルの感動の仕入れ!』日記。 毎日の読書、映画、グルメ、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。(ときどき「酒場のギター弾き」「B級グルメ」も紹介します)

「芸に生き、愛に生き」(曾我廼家桃蝶)

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芸に生き,愛に生き (1966年)

芸に生き,愛に生き (1966年)

 

 この本はいまから50年以上前の出版。図書館にありました。著者の女形の「曾我廼家桃蝶(ももちょう)」さんのことは、ある本で知りました。「男しか愛せない男。そして恋のために小指をつめた」というエピソードを耳にしたから。この時代に赤裸々に自らの性についてカミングアウトしいるなんてスゴイ!その恋愛遍歴とその激しさ。そしてその美貌!そのエッセンスを紹介しましょう。

 
・私は、何度かためらいつつ、何度か迷いつつも、この手記をしたためました。先天的に女性を愛することのできない私の、世の常ならぬ愛情を、いくら、その真実をありのままに記しても、それはなんの役もたたぬことではないか、と思ったからでございます。ほんとに色ざんげというにふさわしい古めかしい愛情の記述にしかなりませんでしょうけど、思い切ってまとめさせていただく気になりました。私は、私が女性を愛することの適わぬ男性である、ということを強いて隠そうとは一度もしたことがありません男らしくしろ、と言われても、それが自身のどこにも全く無い私にとりましては、たいへんな無理難題で、すべて、かくそうにもかくせないのでございます。思い出しますと、その都度が、苦しみ悩み、喜び悲しみ、それらのものに身を焼く愛情ばかりでございました。しかし、それが、そのまま私の芸の伸長に、作用していたのでございます。
 
・兄と、その二つ下に姉がいました。それから十三年目に私が生まれました。出産のときお産婆さん多年の経験から、手の感触で「こりゃ、女の子じゃ」と直感したそうです。ところが男の子、びっくりしたそうです。産声までが、さながら女の子そっくりじゃったと後々までお産婆さんに不思議がられました。ですから私は、生まれたときから「つけ違って生まれてきた子」と言われたわけです。
 
・本名は憬(さとる)。私は姉を真似て、おしろいや口紅を塗り、眉をひきました。全く天から与えられた特質とでもいうのでしょうか、はじめて自分の顔に化粧したにしては、その手順から濃淡に至るまで、女で大人の姉よりはずっとうまく、子供心に、自分でもほれぼれするような美しい顔が、そこのでき上がりました。そんなことが病みつきになって、お化粧をしたり女の着物を着たりすることが、もちろん父には極秘でしたが、私の一番たのしい遊びになりました。こうして私は、ますます女らしく育ってゆきました
 

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・駆けっこだとか、泥いじりだとか、竹馬だとか、凧あげだとか、相撲ごっこだとか、戦争ごっこだとか、いっさい男の子にやる遊びは大嫌いでしたし、仲間へ入ろうともいたしません。いつも友だちは女の子ばかりに限られていました骨格も声帯もすべてが女性的、と申しますより女性そのもので、なで肩にポチャっとした肉付きで、歩き出したときから、内股に歩いたそうです。その上、声のかん高く美しいことは、子供の頃から評判で、小学校へ上がると、唱歌はズバ抜けて上手でした。女の子はきらいで、男の子に好感をいだきましたつまり自分とはまったく対照的な男らしい男の子に憧れました。
 

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・あなたは、私の左手の小指が、第一関節でぷっつりと切れているのをよく疑ってお聞きになりましたね。その都度、私はいつも、子供の頃にひょうそを患ったのよとごま化していましたね。あなたが見抜いたように小指をつめたあとなのです。気取って申せば青春の贖罪にこの小指の秘密を、きょうは、あらいざらいあなたに告白いたしましょう。私の芸と恋は一つの茎から二つの異なった色の花が咲いたようなもので、どちらか一つを失う時は、私という役者の終焉を意味しました
 
モノクロ写真でもうっとりするほど美しい……ここまでくると男でも女でも関係ないっ!なるんだろうなあ。(笑)入手困難かもしれないけど、超オススメです!(・∀・)♪
 

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芸に生き,愛に生き (1966年)

芸に生き,愛に生き (1966年)