「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「イオンを創った女 評伝 小嶋千鶴子」(東海友和)

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 イオンを創った女 ― 評伝 小嶋千鶴子

イオンを創った女 ― 評伝 小嶋千鶴子

 

お恥ずかしながら、イオンの小嶋千鶴子のことも、イオンの基礎を創ったこともことも知りませんでした…。そして岡田屋の創業期のドラマと、止むを得ず小嶋が引き継がなければならなかったことも…。事実は小説よりも奇なりだねえ。

 

「弟を日本一にする」そういって巨大流通グループ「イオン株式会社」の創業者・岡田卓也を人として、経営者として育て上げた、小嶋千鶴子。23歳でイオンの前身・岡田屋呉服店の社長となり、戦後の混乱期を数々の手腕で乗り越え、さらに発展させた。その後、弟・卓也を社長にし、今度は卓也を支えるブレーンとなり、経営人事・戦略人事の専門家として、イオンの基礎を作った。そのドラマとは?そのエッセンスを紹介しよう。

 

岡田卓也イオン名誉会長「姉、千鶴子がいたからこそ、現在のイオンの繁栄があることは間違いありません」と感謝している。事実、四日市の岡田屋をジャスコへ、ジャスコイオングループへと育て上げる基礎を築いたのが、小嶋千鶴子である。家業を企業へ、企業からさらに産業へと発展させた類まれなる経営手腕。加えて、その過程で行った数々の合併。それを成功させるに至った彼女の人事・組織経営をして、人々は小嶋千鶴子を「人事・組織専門経営者のレジェンド」とさえ呼ぶ。小嶋が現職を退任してから約40年、知る人が少なくなってきた。

 

・小嶋の人事に関する事柄がなかなか次代に継承されなかった理由は、一つには小嶋は裏方・補佐役に徹していたということがある、もう一つは小嶋があまりにも強い個性をもつがゆえに「小嶋さんだからできた」と属人的なものとしうて捉えられてしまうからである。小嶋は「難解」である。エッセンスをどれだけ積み重ねても全体像が見えにくい。そして底なしに深い。深い底には燃えたぎる「マグマ」がある。マグマの正体は私にはわからないが「エネルギーの源」であることは間違いない。読者自身にも、そのエネルギーを感じ取っていただければ幸いである。


・「今この歳になって思うことがあります。私が岡田屋を引き継ぎ大変でしたねという人もいあるが、一言でいえば生きることで一生懸命でした。戦後間もない頃には売る品物がない。京都にちり紙があると聞けば買いに行きました。名古屋の堀川に木材があるのでそれを買って下駄を作って売りましたところ乾燥不良で下駄が反って全部返品になったことがあります。思い出すのはそれくらいです」

 

・「ごみ箱がない部屋は汚れる。会社も同じや。ごみはごみとして処理しないと、腐ったりんごは一つ放置するとみんな腐る、。これも人事の大切な仕事や」

 

「問題あらへんか?」

 

・「人はどんなときによく働くのか。愉快なときに働くのである。人間は人から認められたとき愉快になるのである」

 

・「生産性の低い会社・職場に共通しているのはマネジメント不在か、有効に働いていない場合がほとんどである」

 

・「打率三割は良いほうである。七割の失敗は当然である。本人が失敗を隠したり、一回の失敗で意気阻喪したりさせないことである」

 

 いいなあ、いまだに100歳を超えてご存命なのがまたスゴい!オススメです!♪

 

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イオンを創った女――評伝 小嶋千鶴子

イオンを創った女――評伝 小嶋千鶴子