「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「勇者たちへの伝言 いつの日か来た道」(増山実)

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勇者たちへの伝言 いつの日か来た道 (ハルキ文庫)

勇者たちへの伝言 いつの日か来た道 (ハルキ文庫)

 

この本は心底、感動した!今年読んだ本でベスト3入りは間違いなし!!!勇者=阪急ブレーブスの歴史の本かと思ったら、意外や意外っ!

 

「ベテラン放送作家の工藤正秋は、阪急神戸線の車内アナウンスに耳を奪われる。「次は…いつの日か来た道」。謎めいた言葉に導かれるように、彼は反射的に電車を降りた。小学生の頃、今は亡き父とともに西宮球場で初めてプロ野球観戦した日を思い出しつつ、街を歩く正秋。いつしか、かつての西宮球場跡地に建つショッピング・モールに足を踏み入れた彼の意識は、「いつの日か来た」過去へと飛んだ―。単行本刊行時に数々のメディアで紹介された感動の人間ドラマ、満を持して文庫化!」そのエッセンスを紹介しよう。

 
・車内アナウンスが聞こえてきた。「次は……いつの日か来た道。いつの日か来た道」
いつの日か来た道?もちろんそんな駅はない。空耳だった。
アナウンスは西宮北口と告げているのだった。
 
「にしのみやきたぐち」「いつのひかきたみち」
 
ぷしゅっと気の抜けた音を吐いてドアが閉まる。再び電車が動き出す。
 
昭和40年代半ば。あの頃は日本人の誰もがプロ野球に熱中していた。巨人の王、長嶋が全盛時代を迎えていたし、関西では阪神がなかなか勝てないにもかかわらず圧倒的な人気を誇っていた。パ・リーグ阪神に劣らず人気があった。そんな時代が放射する熱を、当時まだ小学生三年生だった正秋もごく自然に浴びていた。
 
・「正秋君、阪急ブレーブスって知ってるか。強いんやで。二年連続パ・リーグで優勝したんやで。阪神よりも巨人よりも南海よりも、ええ選手いっぱいおるんやで。ブレーブス、いうのは、勇者たち、いう意味や勇ましい者と書いて、勇者や。正秋君には勇気はあるか?勇気を持ちや。生きていくのには、勇気が必要や勇気が欲しかったら、いっぺんお父さんにブレーブスの試合連れてってもらい。西宮北口。阪急ブレーブスの本拠地。西宮球場や」
 
・「うち、北朝鮮に帰ったら、もうあんたのことは思い出さへん。きれいさっぱり、忘れる。ただ、これから野球の試合観るたび、この街のこと、思い出す。そして、きっとあんたのことも思い出す。きっとそのとき、思い出す。それが、うちとあんたがこの街に生きてた証や私は北朝鮮で野球を観たら、あんたのことを思い出す。そやから……あんたは、いつかどこかで、一匹だけ群れからはぐれて飛んでるトンボを見かけたら、うちが会いに来たと思って。そのときだけ、ほんの少しだけ、うちのことを想い出して。あとは……」
 
・今になって私は思うのです。「故郷」とは、きっと追い求めるものではなく、ふりかえったときに「ただ、そこにあるもの」なのかもしれない。うまくは言えないけど、永遠というのは、終わりがない、ということです。終わりがないのならば、私の人生もまた、いつか繰り返されるのです。私の記憶は、きっとこの宇宙のどこかに、この世に生まれて来た人の数えきれない思い出と一緒に、そう、この宇宙のどこかに、永遠に漂って要るのだと思います。私はその、どことも知れない「永遠に漂う場所」を「ふるさと」と呼びたいのです。
 

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梶本隆夫投手は、5年前、71歳で亡くなりました。彼の生涯成績は254勝255敗でした。彼はひとつ負け越しのこの通算成績を、生涯誇りにしていたそうです。勝ちよりもひとつ多い負けを味わって生きた梶本隆夫を、ぼくは尊敬します。人生の思い出の中の喜びと悲しみの数を、勝ちと負けみたいに比べることかもしれません。それでも、安子さんとの思い出のいくつかが、ふりかえったときに味わいに満ちたものであったということに、ぼくはどれほど励まさされたことでしょう。
 
つくづく、野球ができるって平和だってことなんだと思う。「生きている証」かあ……トンボを観たらこの本のことを、阪急ブレーブスを思い出すだろうなあ…… 。北朝鮮の帰国事業も壮絶だったんだね。ぜったいに映像化して欲しい。超オススメです!(・∀・)♪

 

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勇者たちへの伝言 いつの日か来た道 (ハルキ文庫)

勇者たちへの伝言 いつの日か来た道 (ハルキ文庫)