甲子園の優勝投手、数々あれど、ワタシにとって印象的なのは横浜高校の愛甲猛だ。実は「球界の野良犬」なんだって。(笑)
「1980年、ドラフト1位でロッテから指名され入団し、中日移籍後は代打の切り札として活躍した往年の名選手・愛甲猛。その愛甲氏が、甲子園優勝からプロ野球入団、そして現役引退後の生活を赤裸々に綴った問題作『球界の野良犬』が文庫になって登場。甲子園時代の喫煙・補導にはじまり、プロ入り後の薬物汚染、悪友たちとのトラブル、そして失踪……。表と裏を渡り歩いた波乱万丈の野球人生」そのエッセンスを紹介しよう。
・甲子園で全国制覇、20年のプロ野球人生、535試合連続フルイニング出場のパ・リーグ記録は誇りの一つだ 。とことんやったからこそ達成できた、と今でも信じている。しかし、ドーピングだけは違った。確実に身体を蝕んでいる。痛みを抑えるためにさらなる劇薬を打ち続け、肉体は取り返しのつかないところまできていた。もがき、苦しみ、のたうちまわることなど想像もせず、パイオニアを目指したツケだった 。このシーズン、3割8分7厘と生涯最高打率を達成できた。最後にありったけの力を出せたが、代打成功で喝采を浴びれば浴びるほど、選手生命は確実に短くなっていた。引退後、地獄の痛みを味わうことになろうとは、このときはまだ知る由もなかった。
中学のころ、初めて「アンパン」つまりシンナーをやった。純トロ と呼ばれるシンナーをティッシュに染み込ませ、ビニールに入れて吸うのである。吸っているとイヤなことなど忘れられ、すべてが楽しくなった。お年玉をもらうと、新宿にいって純トロを買って帰った。アンパン中毒のSには言語障害があった。「フィレオフィッシュ」が言えず、後輩にマクドナルドにパシリに遣わせるときなど「サカナ買ってこい」。右と左がわからないSは、初詣の帰りにタクシーに乗車、運転手さんに「は、箸持つほうに曲がれ!」 卒業証書のもらい方に関しても「箸持つほう、次に茶碗持つほうと出すんだぞ」と教えた思い出がある。仲間と一緒に暴走族の集会に顔を出し始めたのもこのころだ。
・ある日、観客の数を数えたら98人しかいなかった。ある日、カップルがセックスしていた。ある日、外野で流しソーメンをしている客がいた。ホントかよ、と思われるかもしれないが、これらはすべて実話である 。麻雀、柔道の乱取り、打ち上げ花火も眼にした。ロッテの選手が3本ホームランを打った試合では、スタンドに投げたマスコット人形を3個とも同じファンが手にしたほどである。「数えるほど」とはよく言うが、実際に数えられるのだ。横浜高校の試合のほうが観客も多かった。
・人心掌握術に長けていたのも星野監督の特徴だった。優勝した平成11年のシーズン中のこと。前の日に活躍した俺は、監督室に呼ばれた。「愛甲、昨日はよく打った。どれでも好きなもの、持っていけ」 机の上にあったのは、亡くなったばかりに奥さんの形見だった。宝石を一つ手にすると「ちゃんとカミさんにやれよ。他の女にやるんじゃないぞ」 と笑う。
「恐怖の神様「3年生」」「人生が変わった夏」「4800万回の題目」 など。リアルだなあ。今なら出版禁止になるかもね。野球ファン必読。オススメです。(・∀・)♪