年間350〜400冊の本を読むようになって早や20年。もうすっかり習慣になってしまい、趣味でもない。自然に、当たり前のように、呼吸をするように本を読む。速読やとくにこだわりがあるわけではない「乱読」だ。本を読んでいるときに自分以外のさまざまな人生を経験でき、トリップできる、のがヤメラレナイのだ。
さて、この本。「本棚を眺めたり、本を手にとったり、拾い読みしたり、朗読したり、積んだり、解説や索引から読み始めたり。本好きの翻訳家とイラストレーターが、視・聴・触覚で遊ぶ、こだわりの読書術」そのエッセンスを紹介しよう。
・片岡義男「これはおもしろそうだ、と思った本が届く。 本棚にどんどん、たまっていく。読むともちろんおもしろいが、 たまに手にとって眺めてるだけでいろんなことがわかり、 充分にむくわれる」これが「積ん読」 のエッセンスだと膝を打った、そうだよ、「積ん読」 だって立派に読書のひとつだよね。「読む」と「 手にとって眺める」はほとんど同じことのように思える。
・「本を読むということは、ひとりでいるための口実でもある。 絵本を読んでやる、読んでもらうということは、 ふたりでいるための口実でもある」
・津野海太郎「私の場合、 路上や喫茶店や電車の中での読書が普通なのであって、 自分の部屋で机に向かって本を読むことのほうが異例なのだ。 歩きながら書に親しむすがたから二宮金次郎などを連想いただいて も困る。歩きながら本を読み、 かわりに部屋ではビデオを見ながらボケーッとしている。 それが私」
・愛読書という言葉があるが、じつは、 この言葉の意味がぼくにはよくわからない。「愛・読書」 というならわからないではないが、一般につかわれている意味は「 愛読・書」のようなので、わからなくなるのだ。
・「この本をぜんぶ読んだかって?読むわけないだろう。 ひょっとしてあなたは、 毎日セーヴル焼の食器で食事をなさいますか?」
私のリビングのところには常に20冊くらいの未読の本が「積ん読」されています。(笑)オススメです。(・∀・)