遅ればせながら読みました。スゴい……言葉にならない……。1936(昭和11)年、24歳で夭折した著者がハンセン病の診断を受け、療養施設に入所してからの1週間に起きた出来事や、感じたことを、手記風にまとめた私小説。東村山村の全生園がモデルとなっているらしい。
独英訳など海外にも知られ、あとがきが交流のあった川端康成。なまなましいというかリアルというかこれは体験したものではないと書けないだろう。そのエッセンスを紹介しよう。
・病気の宣告を受けてからもう半年を過ぎるのであるが、その間に、公園を歩いている時でも街路を歩いている時でも、樹木を見ると必ず枝ぶりを気にする習慣がついてしまった。その枝の高さや、太さなどを目算して、この枝は細すぎて自分の体重を支えきれないとか、この枝は高すぎて登るのに大変だなという風に、時には我を忘れて考えるのだった。木の枝ばかりでなく、薬局の前を通れば幾つも睡眠剤の名前を想い出して、眠っているように安楽往生をしているじぶんの姿を思い描き、汽車電車を見るとその下で悲惨な死を遂げている自分を思い描くようになっていた。けれどこういう風に日夜死を考え、それがひどくなって行けば行くほど、ますます死にきれなくなって行く自分を発見するばかりだった。
・佐柄木に連れられて初めてはいった重病室の光景がぐるぐると頭の中を廻転して、鼻の潰れた男や口の歪んだ女や骸骨のように目玉のない男などが眼先にちらついてならなかった。自分もやがてはああ成り果てて行くであろう膿汁の悪臭にすっかり鈍くなった頭でそいういうことを考えた。半ば信じられない、信じることの恐ろしい思いであった。どれもこれも崩れかかった人々ばかりで人間というより呼吸のある泥人形であった。
・「人間じゃありません。尾田さん、決して人間じゃありません。人間ではありませんよ。生命です。生命そのもの、いのちそのものなんです。あの人たちの『人間』はもう死んで亡びてしまったんです。ただ、生命だけがびくびくと生きているのです。なんという根強さでしょう。誰でも癩になった刹那に、その人の人間は亡びるのです。死ぬのです」
ハンセン病の歴史は決して忘れてはならない。この小説は人類必読だ。オススメです。