ときどきウチのスタッフに言うのだが「ケータイとパソコンのないところに行きたい。オレへの連絡は、発煙筒か「狼煙(のろし)か糸電話かホラ貝にしてくれ〜!」と。(笑)
さてこの本。実は戦前だけでなく戦後まで通信手段として「伝書鳩」が使われていたという事実っ!すごくない!?(・o・)!?
「今の我々は鳩といえば駅前や公園のドバトを連想しがちだが、かつては新聞社のスクープ合戦の一翼を担う鳩もいた。海上や山間や僻地から写真などを身に帯び、隼や鷹の襲撃をかわしつつ、ときには数百キロという遠路を社屋目指して飛び帰る伝書鳩は、いわば当時の花形通信手段だったのだ。本書は明治期、軍用鳩として西洋より導入されてから、近年、レース鳩へと転身するまでのその歴史を、丹念な取材でたどりつつ、鳩が秘めた驚くべき能力の謎にも迫る」そのエッセンスを紹介しよう。
・二、三年前、私はたまたま何人かの新聞社写真部OBに会って取材を摺る機会を得た。彼らの話の中で特に心に残ったのは、戦後間もない頃の旧式のカメラによる撮影の失敗談、締切時間に写真を間に合わせるための苦労話そして、その写真を運ぶのに使われたという鳩ー「伝書鳩」の話だった。当時「鳩便」と呼ばれていたものである。
・いわく、辺鄙な場所での取材の際、各社の記者やカメラマンは数羽の鳩を籠に入れて連れて行き、記事や撮影済みフィルムを鳩の脚や背中に託して大空に放つ。すると、鳩たちはそれぞれの鳩舎を目指して一直線に飛んで行く。自社の鳩が他社の鳩より速く到着して、締切に間に合えば一大スクープだが、途中でハヤブサなどに襲われて帰って来ない場合もあるー。彼らは、戦前はもちろん、戦後もしばらくの間、鳩便が重要な通信手段として使われていたことを、懐かしそうに語ってくれた。
かつて重要な通信手段として活躍した伝書鳩はあのドバトと同じなのか?もし、伝書鳩とドバトが違うものだとすれば、通信用に使われなくなった伝書鳩はその後どうなったのか?そもそも、鳩はいつ頃まで通信に使われて来たのか?新聞社や通信社以外でも鳩を通信手段として使っていた事例はあるのか?
・鳩の飛翔速度に関しては、地形、風速、気象条件等でかなり差があるが、平均すると分速一千メートル、時速にして約60キロと言われている。ただし、過去のレースの優勝記録を見ると、追い風を受けた時の最高時速は100キロを上回り、150キロ台に達することもある。
・不思議なことに、鳩は一年中一定の地域に棲息する「留鳥」であって、渡り鳥ではない。つまり渡り鳥が毎年決まった時期に特定の方角へ飛んで行くのに対して、鳩は一年を通じて東西南北のどの方角からでも自分の巣の場所を察知して飛んでいるのである。
・伝書鳩による通信の種類には大きく分けて、①片道通信 ②往復通信 ③移動通信 ④夜間通信 の4つがある。この中で最も一般的なものは片道通信だが、往復通信というのは、二ヶ所に分けて設けられた鳩舎の間を鳩が往復するように訓練した特殊な通信法である。
・鳩を飛ばすのを見たアメリカの通信社の記者に、ヘリコプターを使えばいいのに、と馬鹿にするように言われたこともあったという。その当時、日本の新聞社も通信社も、ヘリコプターを所有する余裕などとてもなかった。その代わりに、日夜繰り返された熾烈なスクープ合戦を支えたのは鳩の活躍だったのである。
・普通、鳩の寿命は約10年、長生きすれば20年も生きると言われているが、新聞社の伝書鳩は短命で平均5〜6年とかなり短い。実は鳴かず飛ばずで成績の悪い鳩ほど長生きする。よく働いてくれる鳩は悪天候や海上や山越えなどの苛酷な条件で飛ぶことになり、そこで好成績を残せば、さらに出動回数は増える。人間に貢献する優秀な鳩ほど、その人間が課す重労働のために寿命を縮めてしまうわけで、何とも切ない気持ちに箚せられる。
・一羽の鳩に一枚のフィルムを託して、それが無事に届くことを祈りながら、カメラマンが鳩を大空に飛ばしていた頃のことを思うと、一枚の写真の持つ重みもそれだけ軽くなったと感じるのは、私の個人的な感傷だろうか。
「新聞社・通信社の鳩便」「軍用伝書鳩」ってあったんだね。ハトちゃん、すごい!まさに「鳩トリック」だね。(笑)この事実はは元号が変わっても残しておかなきゃいけない事実。超オススメです!(・o・)!