「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「レバ刺しの丸かじり 35」(東海林さだお)

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レバ刺しの丸かじり (文春文庫)

レバ刺しの丸かじり (文春文庫)

 

全作品読破を狙っている東海林さだおさんの本。癒やされる!脳みそがよろこぶ!

 
食べ物に感謝が湧いてくる!「もう逢えなくなるかもしれない。動揺したさだおは、一晩で三軒の店を駆け巡った…ヌラヌラニュルニュルのレバ刺しへの愛が迸る。ラーメンという組織の中で浮いているナルトに思いを巡らせ、刺身の妻にどう接するかで悩み、多様なタレントを擁する納豆ジャニーズ事務所を考える。大人気食エッセイシリーズの第35段!」そのエッセンスを紹介しよう。
 
 
「とナルト、ナルトは」
 
 
ナルトです。問題は。あれはいったいどういうことなんですか。というか、どういうつもりなんですか。ラーメンという組織の中で浮いている感じはある。メンマもチャーシューも麺もスープも、強い必然で結ばれている。そこへそうなんです、よそ者。
 
同窓会が開かれている。同窓生が群れ集う中に、どういう理由でそうなったのかわからないが、学校の校門の前にあった文房具屋の主人が交じっている。この主人がもともと無口な人で「いらっしゃいませ」も「ありがとうございました」もなく、終始無言で客に応対する人だった。この日も会場の片隅でただ黙ってたたずんでいる。「誰が呼んだんだ」ということになってくる。ラーメンの中のナルトも「誰が呼んだんだ」という雰囲気がある。ラーメンを食べている間、ずうっと文房具屋が気になる挨拶ぐらいはしたほうがいいとは思うのだが、いつ挨拶したらいいのか。
 
 
「蕎麦のズルズル」
 
 
いわゆる、長もの、麺類ですね、人類はなぜ、食べ物としての材料を、わざわざ長っ細くして食べようとするのか麺類は全地球的に普及している。大変な手間ひまだと思うんですね、細く長くするのは。細長くするということは食べにくくするということなんです。わざわざ大変な手間ひまをかけて、わざわざ食べにくくして食べる。しかもこの、わざわざ食べにくくして食べたいおちう欲求は全地球的にある。どういうことなんでしょうか。
 
 
「ホラ!こんなに」
 
 
「ウチのピザは、ホラ!こんなに伸びるんですよ」と、いかにも自慢げである。人間は自分が持っている食べ物が伸びると自慢したくなる」松前漬けも、メカブだって、オクラだって、トロロ芋だっーって、伸びて粘るからウケるんだ……そんな歌さえ歌いたくなる。だが、納豆の場合は、これまで述べてきた「伸びもの」「粘りもの」とはちょっと傾向が異なる。納豆の場合は、混ぜれば混ぜるほど伸びて粘るという、本人の努力次第というところが違う。本人の功績、手柄というところが違う。最近は手柄が立てにくい世の中である。特にサラリーマンは手柄が立てにくく、手柄が見えにくい。平成のおとうさんたちは、納豆に手柄を求める。
 
 
その他、「不満の種の種」「齧って残してまた齧る」「納豆ジャニーズ論」「刺し身を味噌で」「鮟鱇を尊敬す」「ニュースタイルお節」「牛乳ビンのチカラ」「お吸い物の地位は?」「立ち上がれ、味噌汁!」「塩むすび復活す」「かにと玉子で「かに玉」」「カマスの立場」「お〜いラー油」「行ってきましたスカイツリー「柿の種誕生物語」など。

 

あと何冊で全作品読破できるのだろう!?(笑)オススメです。

 

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レバ刺しの丸かじり (文春文庫)

レバ刺しの丸かじり (文春文庫)