全作品読破を狙っている東海林さだおさんの本。癒やされる!脳みそがよろこぶ!
食べ物に感謝が湧いてくる!「もう逢えなくなるかもしれない。動揺したさだおは、一晩で三軒の店を駆け巡った…ヌラヌラニュルニュルのレバ刺しへの愛が迸る。ラーメンという組織の中で浮いているナルトに思いを巡らせ、刺身の妻にどう接するかで悩み、多様なタレントを擁する納豆ジャニーズ事務所を考える。大人気食エッセイシリーズの第35段!」そのエッセンスを紹介しよう。
「とナルト、ナルトは」
ナルトです。問題は。あれはいったいどういうことなんですか。 というか、どういうつもりなんですか。 ラーメンという組織の中で浮いている感じはある。 メンマもチャーシューも麺もスープも、強い必然で結ばれている。 そこへそうなんです、よそ者。
同窓会が開かれている。同窓生が群れ集う中に、 どういう理由でそうなったのかわからないが、 学校の校門の前にあった文房具屋の主人が交じっている。 この主人がもともと無口な人で「いらっしゃいませ」も「 ありがとうございました」もなく、 終始無言で客に応対する人だった。 この日も会場の片隅でただ黙ってたたずんでいる。「 誰が呼んだんだ」ということになってくる。 ラーメンの中のナルトも「誰が呼んだんだ」という雰囲気がある。 ラーメンを食べている間、ずうっと文房具屋が気になる。 挨拶ぐらいはしたほうがいいとは思うのだが、 いつ挨拶したらいいのか。
「蕎麦のズルズル」
いわゆる、長もの、麺類ですね、人類はなぜ、 食べ物としての材料を、 わざわざ長っ細くして食べようとするのか。 麺類は全地球的に普及している。 大変な手間ひまだと思うんですね、細く長くするのは。 細長くするということは食べにくくするということなんです。 わざわざ大変な手間ひまをかけて、 わざわざ食べにくくして食べる。しかもこの、 わざわざ食べにくくして食べたいおちう欲求は全地球的にある。 どういうことなんでしょうか。
「ホラ!こんなに」
「ウチのピザは、ホラ!こんなに伸びるんですよ」と、 いかにも自慢げである。「 人間は自分が持っている食べ物が伸びると自慢したくなる」 松前漬けも、メカブだって、オクラだって、トロロ芋だっーって、 伸びて粘るからウケるんだ……そんな歌さえ歌いたくなる。だが、 納豆の場合は、これまで述べてきた「伸びもの」「粘りもの」 とはちょっと傾向が異なる。納豆の場合は、 混ぜれば混ぜるほど伸びて粘るという、 本人の努力次第というところが違う。本人の功績、 手柄というところが違う。最近は手柄が立てにくい世の中である。 特にサラリーマンは手柄が立てにくく、手柄が見えにくい。 平成のおとうさんたちは、納豆に手柄を求める。
その他、「不満の種の種」「齧って残してまた齧る」「納豆ジャニーズ論」 「刺し身を味噌で」「鮟鱇を尊敬す」「ニュースタイルお節」「 牛乳ビンのチカラ」「お吸い物の地位は?」「立ち上がれ、 味噌汁!」「塩むすび復活す」「かにと玉子で「かに玉」」「 カマスの立場」「お〜いラー油」「行ってきましたスカイツリー」 「柿の種誕生物語」など。
あと何冊で全作品読破できるのだろう!?(笑)オススメです。