「酒場のギター弾き」のワタシはいろいろな歌を作っているので、人よりコトバについて敏感である(と思っている)。最近耳障りなのは、「1000円からでよろしいでしょうか」「よろしかったですか?」「アイスコーヒーになります」「アイスコーヒーのほうお持ちしました」などと同様「〜させていただく」だ。(・∀・)
「「〜させていただく」という言葉に象徴されるように、現在、日本語の丁寧化という波が押し寄せている。丁寧化はなぜ進んだのか。時代や社会の動きとともに変化する日本語は、これからどう変化するのか。日本語教師として、外国人の日本語学習者に、日本の大学生に日々接する著者が、敬語を中心とした“おかしな日本語”に着目し、日本語の本来の使い方、そして私たちのコミュニケーションのあり方を考える」そのエッセンスを紹介しよう。
・「皆様にワタクシの政策をお訴えさせていただきたく……」わたしはその瞬間、どんなに政策がすばらしくても、こいつには絶対に投票すまい、と固く心に誓った。せめて「お」がなかったら、あるいはせめて「お訴えいたしたく」だったら、まだ救いもあったのに、「お訴えさせて」はないだろう。政策を練る前に、日本語教室に通って出直してくるべきである。
・まず濫用との批判があとを絶たないにもかかわらず使用頻度が少しも落ちていない「させていただく」を取り上げる。それから尊敬語や謙譲語など、現代日本語の敬語をひとわたり眺めることにする。
・「このたび、新曲『◯◯旅情』を歌わせていただくことになりました」というような言い方を誰も耳にしたことがあるだろう。しかし、これは、そのようにして真摯に敬語を使用しているというよりは、無批判な「紋切り型」としてただ「させていただく」を引っ付けているにすぎない。その証拠に、そうへりくだる必要のないところにまで、この「させていただく」が頻出する。「歌わせていただく」ために「レコード店を回らせていただいた」結果「皆様方に喜んでいただいて」「紅白にも出させていただき」「おかげさまで一人前にさせていただいた」りするのである。こうなると、そのこころのなかには、別段な敬意などは働いていないことが印象され、結果的に「慇懃無礼」という感じになるであろう。こういうのを謙遜的傲慢というのである。(林望)
・「本日休業」「本日臨時休業」の札は今でも見かけるが、以前よりずっと少なくなったように思う。この言い方は直接的すぎる、ぶっきらぼうだ、客への配慮が感じられない、と思う人が多くなったのだろう。そのため「都合により本日臨時休業いたします」と、少し長い文にして誠意を示そうとする。利用客への経緯の表れだ。ところが日本語の丁寧語という波がじわじわと押し寄せてきて、店にいっそうの低姿勢を求めるようになってきたのだ。
・同じ「させていただく」でも耳障りなものとそうでないものがあり、また耳障りと感じる人と感じない人がいる。「させていただく」の用法もいくつかに分けられる。どんなときに使われるのか、なぜ使われるのか、どのような場合に耳障りとなるのか。どうして耳障りなのか。
・「私はこの責任をとり、辞任をしてまいりたいというふうに思います」VS「私はこの責任をとり、辞任します」
その他、「「さ入れ」言葉とは何か」「日本語の丁寧語化がエスカレートするとどうなるか」など。
やっぱり心がこもった敬語を使いたいよね。注意しなきゃ。オススメです。(・∀・)♪