「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか」(鴻上尚史)

 


不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか (講談社現代新書)


ウワサに聞いていた話題の本、ようやく読みました!「大東亜戦争の特攻隊員の中で出撃しても生きて帰ってきた特攻兵がいた。それも9回も。昨年の2月、92歳で亡くなった佐々木友次氏がその人である。佐々木氏や特攻について調べたこと、佐々木氏へのインタビュー、そして、それらからこの劇作家が考えたこと」そのエッセンスを紹介しよう。


・陸軍の第一回の特攻隊パイロット「神風(しんぷう)特別攻撃隊「9回特攻に攻撃して9回生きて帰ってきた人」がいました。名前は佐々木友次、21歳の若者でした。いったいどうしてそんなことが可能だったのか。生きて帰ってきた時、上官や仲間たちを含めた周りの反応はどうだったのか知りたいと思いました。


佐々木さんは92歳で札幌の病院で生きていました。意識も記憶も明瞭でした。僕は5回お会いしいろんな話を伺いました。佐々木友次さんをたくさんの日本人に知ってほしい。歴史の闇に埋もれさせてはいけない。佐々木さんが何と戦い、何に苦しみ、何を拒否し、何を選んだか。そしてどうやって生き延びたか。生き延びて何を思ったか。一人でも多くの日本人に知ってほしい。それだけを思ってこの本を書きました。


・生還した特攻隊員だけを集めた振武寮に軟禁されました。入り口には銃を持った衛兵が立ち、外出はもちろん手紙も電話も禁止され、外部との接触は一切断たれました。毎日「卑怯者!」「おまえら人間のクズだ。軍人のクズ以上に人間のクズだ」と罵声を浴びながら「軍人勅諭」を書き写すことを命令され「なぜ生きて戻ってきたのか」という反省文を書かされ「般若心経」を筆写しろという命令もありました。陸軍の正式な記録には一切残っていない寮です。歴史の闇に埋もれてしまう「事実」なのです。


・「(生き延びてやると思ったのは)一回目で帰ってきた時ですね。これは帰れるかもしれんって思いました。その後、夜中に不時着して、飛行機は壊れたけど、自分はケガしなくて。それが一つの転機になってこれは帰れるなと思って。その気になったんですよ。反省もなにも、今度は死んでやると思いましたけどね、同時に何があっても生き延びてやると思ったんです。」


・「死んだ奴らに対して申し訳ないって思いが大きいどころじゃないですよ。一番ですね。死んだ奴が一番かわいそうで。あんまりね、帰ってきたから興奮して喜ぶとか騒ぎたくないんですよ。ひっそりとして家にいたほうが一番いいし、世間的にも申し訳が立つしね」


・「戦場に行くのが恐ろしいとかあんまり思ったことないですよ。飛んでいればいいんです。まあ寿命ですよ。寿命は自分で決めるもんじゃないんですから


あの時代に上官に反抗できるのか!?しかも9回も!?しかも還ってきた、生きていてインタビューできた!?キセキの書です。超オススメです。(・∀・)


 


不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか (講談社現代新書)