ワタシが天才だと信じてやまない「東海林さだお」氏。人を文章で楽しません天才だっ!(・∀・) 全作読破を目指している「丸かじり」シリーズ。この本も楽しませていただきましたー!(・∀・)
「イチゴショートケーキの攻めかた、シイタケは天下りの役人、茹で卵の愛しさ、つまらなそうに食べるとおいしいシュウマイ、プロのカツサンド鑑定士とは?コロッケには醤油かソースか、チクワブは何者か?ショージ君を前にとけてゆく身近な食べ物のなぞ」そのエッセンスを紹介しよう。
「カボチャはオヤジか」
カボチャは見ていてつらい。その不様な様態。意味なく大きくなってしまい、その巨体をもて余して恥じいっている様子。ゴツゴツして乾いた岩肌のような皮膚。厚顔、を絵に書いたような、その皮膚の厚さ、硬さ。野太い声(聞いたことないけど)。息づかいの荒さ。見た目の暑苦しさ。とにかくでかくてごつい。ごつくていかつい。いかつくて見苦しい。大体、全身に掘ったあのミゾは一体なんですか。意味があるのでしょうか。カボチャという名前もよくない。特に“ボチャ”がよくない。なんだか水たまりに足を突っ込んだときの音のようだ。つまり“失敗の音”なのだ。
「マカロニ君大好き」
スーパーのお惣菜コーナーに行くと、ポテトサラダとマカロニサラダが並んで売られている。諺に「犯罪の陰に女あり」というのがあるが、「ポテサラの隣にマカサラあり」という諺もあるくらい、両者は必ず並んで売られている。マカロニの弾力をモクモクと味わっていると、そこのことろへキュウリのシャリシャリが加わり、ビシャビシャにゆるんだマヨネーズの味が加わり、ニンジンのパリパリが加わって、全体の冷たさが口の中に清涼感をもたらす。ビシャビシャの中のモクモク。モクモクの中のシャリシャリ。モクシャリの中のパリパリ。ビシャモクシャリのパーリパリ。パーリパリのモークモク。
「蘇州の上海がには?」
お店のおねえさんが、たどたどしい日本語で「まず、こうしてハサミを二つはずし、それから足を全部はずします。それからこうしてフンドシをツメで起こしてはずし、次に表の甲羅をこうはずします」と説明する。かにというものは、どうやらはずしてばかりいるもののようだ。
「カツサンドの法悦」
パン屋さんで、パンやサンドイッチを買うのは楽しい。トングをハサミのようにパクパクさせながら「さあ、そのへんにあるもの、なんでもはさんでやるぞ」と獲物を求めて歩き始める。まずカレーパンをはさみ、ウインナパンをはさみ、エート、次はどれをはさんでやろうか、と周りを見回しながら歩いていく。海底や川底を行くカニの心境も、きっとこのようなものであるに違いない。パン屋を行くカニ男……。
「愛しき茹で卵」
むく、というより、はずす、という感じで、たとえば、誰とは言わないが、テレビによく出てくる経営コンサルタントの人とっか、あるいは大リーグ通のあの人とかが、家へ帰って、ヤレヤレなんて言いながら頭頂部をはずすときは、きっとこんな感じなんだろうな、と思わせるものがあった。
その他、「饅頭こわい」「イチゴのショートケーキ」「中国ラーメン事情」「チクワブの謎」「シュウマイの憂い」「昆布巻きの迷惑」「アメ横狂想曲」「飲んべえの桃源郷「魚三」」「天下り族シイタケ」「ラーメン食べ放題」「ソースか、醤油か」「レジ際心理」「タコ焼きはショーだ」「ダンゴ入門」「皿を割る居酒屋」「パリにぎ対しめにぎ」「真面目な食べ放題」など。