「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「なぜ日本人は落合博満が嫌いか?」(テリー伊藤)

 


なぜ日本人は落合博満が嫌いか? (角川oneテーマ21)


日本が誇る右の大打者、落合博満。史上三度の三冠王は未だに破られていない。だが高感度という点ではイマイチかもしれない。(・o・)

さてこの本。「選手としても監督としても実績は抜群なのに、落合博満への評価は低すぎるのではないか落合流の超合理主義こそ、今日本人が参考にすべきリーダー像ではないか。無類の野球好きのテリー伊藤が鋭く突っ込む」そのエッセンスを紹介しよう。


なぜ日本人は、そんなに落合が嫌いなのだろう。群れず、はしゃがず、黙って信念を貫いていく。媚びず、言い訳せず、不気味なほど寡黙に勝負して、勝つ。そこには古き良き日本人が持っていたパワーがある。同時に、日本人がいまだかつて持ち得なかった新しい価値観がある。それを私は「落合力」と呼ぶ。この落合力こそが、いまの日本人にはもっとも必要な力だということに気がついてしまったのだ。


・これほどまでの合理主義者が、唯一、情緒的になる対象がある。それが、ほかでもない、長嶋茂雄という存在だ。「長嶋さんにあこがれて野球をはじめた」そう公言している落合は、私と同様、自他ともに認める長嶋信者だ。自分自身のことは訥々としていても、ミスターの話になると身を乗り出してくる。そのとき、彼の目は野球少年のようにキラキラと輝いていた。「私は長嶋監督を優勝させるためにきた。それができなければ、末代までの恥になる」そして「私と清原(和博)のことで長嶋監督がこれ以上、苦労する顔を見たくない。だから私は巨人を出ていくことにした」と言って長嶋巨人を去った。



落合を見てきて「もののとらえ方」はビートたけしに共通しているものがある。その根底にあるのは「常識を疑え」という姿勢であり、物事の本質を鋭く見抜いてしまう感性だ。そしていつでも冷めている。常に自分を客観的な目で見ることができるのだ。いつも「第三者的視点」を持っているのだ。なぜ日本人はビートたけしは認めたのに、落合博満は認めないのだろう。もういいかげんに落合を評価するべきだ。そうしなければ大切なものを見失ってしまうことになる。


落合は嫌われることを恐れない。これは日本人にとって、もっとも難しいことである。たとえ、みんなに嫌われても、自分の信念や理想を貫いて生きること。それをずっと実行してきたのが落合博満という人間であり、嫌われることを怖れて自己主張もできないのが日本の国民性なのだ。


「補強は一切、しません。いまの戦力でも、十分に優勝できます」
「指導者とは、教えるのが仕事じゃない、見るのが仕事だ」
「楽しいじゃない、みんなBクラスを予想してくれて」
「まだ伸びしろのある負け方だ」
「投手交代は、いちばんブーイングを浴びる場面。罵声を浴びる仕事は、俺一人で十分だよ」


・落合は、コメントを求められたとき「あたりさわりのないことを言っておあけばいいや」あということは絶対にしない。逆に言えば、意味のあることしか言わない。かならず言葉の奥に意図がある。


・あの川上哲治をして「こんな監督はプロ野球史上、だれもいなかった。彼こそ日本の野球を根本から変える人間だ」とい言わしめた。落合が歩んできた道は、そしてこれから落合が進んでいこうとする道は、すべて「道なき道」いわば「けもの道」である。


日本人は落合博満が日本の宝だということに気づくべきなのである。重ねて言う。私たちは落合博満を失ってはいけない。落合という宝物を永遠に輝かせていかなければいけない。落合博満よ、永遠に


落合、戻ってきてほしいなあ。日本プロ野球にはあなたが必要です。オススメです。(・∀・)


 


なぜ日本人は落合博満が嫌いか? (角川oneテーマ21)