「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「キャベツの丸かじり 2」(東海林さだお)

 


キャベツの丸かじり


今、マイブームになっているのが(昔からだけど…)東海林さだお氏の文章。


「読めばたちまち極楽気分。暗い気分を一掃し、笑いの渦へと巻き込む人気シリーズ「丸かじり」。本書で俎上にあがった題材は、有名ラーメン店の行列に懐かしの段々のり弁製作、おでんについての苦言。サバについては、ふんがーっと血気盛んにその美味を持ち上げ、ごはんにあうおかずを大マジメに論じる。カツ丼探索をこころみんとしながら、つい目線は「食べ方のイケナイ」諸氏に向いてしまう……素朴な疑問と旺盛な好奇心あふれるシアワセな笑いに満ちた一冊」そのエッセンスを紹介しよう。



昔の餅はよく伸びた。そして餅自体が、伸びることに熱心だった。今の餅は伸びることに熱心でない。「伸びろっていわれれば一応伸びますけど」と、何となく江川的なノリでしかない。それにふくらまない。(初出誌 1987年9月25日〜88年5月27日)


鏡餅のプラスチックの真空パックは、あれは一体何だ。鏡餅は、真空パックになってから、かつての威光をすべて失った。テカテカ光るプラスチックの皮膜と、ギザギザのその合せ目、ギザギザ周辺のシワ、どうみても「幽閉」されているとしか思えない。正月が終わったあとは今度は戸棚の奥に幽閉されるのである。


名前もよくない。雑煮の雑がよくない。雑巾、雑菌、雑草、雑然……いい意味がひとつもない。しかし雑煮は、こうした環境から身を起こし、ついに一年で最も目出度いハレの日の筆頭の食べ物、という身分にまで上り詰めたのである。雑の字仲間の出世頭ということができる。目出度い話ではないか。


かつて、容器とフタは明解な関係にあった。互いの役割を尊重し、領分を侵さずそれぞれの威厳に満ち溢れていた。しかし缶ビールのプルリングは、フタという概念よりも容器としての自覚のほうが強いのではないだろうか。ある日ポッカリと抜き取られ、ここで初めて自分は栓でであったと気づくのである、プルリングは「だまされた」と思うに違いない。それまで知らされなかった出生の秘密を知らされ、うちひしがれるにちがいない。


竹の子はかわいい。ずんぐりむっくりがかわいい。稚気がある。あの砲弾型には機能美を感じる。同じ野菜界の重量級、カボチャ、スイカなどと比べるとその形の良さがよくわかる。竹の子には、竹になろうという目的がある。その目的が、砲弾型という形をとらせたのだ。なのに切り取られてしまった。竹の子は無念である。手にとってじっと見てみよう。竹の子の無念がヒシヒシと伝わってくるではないか。


スゴいなあ……ここまで食材をプレゼンできる人はいないだろう!オススメです。(・∀・)


 


キャベツの丸かじり