雑談とか雑学って好きなんだよねー!「トリビアの泉」って番組があったけど、よけいな(?)知識を知るって楽しいよね〜!(・∀・)
さて、この本。日本人のソボクな疑問に答える究極の「大雑学書」その中でもこれオモシロイ!知らなかったー!というのを紹介しよう。
【◯と✕の起源は?】
「マル」という言葉は、日本では古代から魂を表していた。それも共同体の魂。たとえば、船にさくら丸とか日本丸といった名前をつけるし、城の中心を本丸といったりする。こういった拠点、精神的基地を表す場合に、マルという言葉が使われるケースが多い。
つぎに形としての○ですが、これは世界共通で、太陽を表す。天体の象徴である太陽を表すことから発展して、世界や天体全体のシンボルとしても使われる。またノーベル賞を受賞した物理学者・湯川秀樹氏は、中間子を発見する前の過程で「◯の理論」を唱えていたんですね。物質の究極の形、そのエレメントはすべて◯であるという理論です。目や口を表すのにも◯が使われる。口で呼吸して、口から出ていった気体が宇宙を満たす、という意味にもつながる。古代ギリシャのピタゴラス学派やプラトンも、◯を高貴な形とし、円運動を完全な運動と観がていた。
一方、✕は、日本では「都合」と書いて「バツ」と読んでいた。いまでも「バツが悪い」というでしょう。×の2本の線は道を表していて、それが交差している状態。「辻」という字の「十」は道のクロスポイントの×からきているから、道と道が出会うところ、すなわち交差点が「辻」になるわけです。このことから、本来に×には肯定の意味も否定の意味もなく、状態そのものもが×だったといいえます。また×のそれぞれの先端は都につながり、都と都と結ぶ交差点が×になったとも考えられます。つまり。ふたつ以上の世界が出会うという、非常に大切な意味も持っているんです。
事故現場でも、人や動物につける目印としても、×は使われる。古代中国では生まれた赤ん坊の額や胸、腹にやはり×印をつけたといわれます。このように、×が体に傷をつけることを指したことから、否定的なイメージにとられたのでしょう。
その他、「恋を売ると、なぜ人の心はかき乱されてしまうのだろう?」「ダッチワイフの語源は?」「人一倍は「人並み」のはず」「なぜ「踊り場」と呼ばれるのか」「24時間営業のシャッターは下りるか」「商品名なのに一般的な名称として使われているものは?」「日本の警察官の拳銃の製造元は?」「時計はなぜ右回りなのだろうか?」など。
また「トリビアの泉」復活しないかなー!誰かに話したくなるよねー!オススメです。(・∀・)