「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「力道山がいた」(村松友視)


力道山がいた (朝日文庫)


私が生まれた昭和39年。すでに力道山はこの世にいなかった。ナマで見たかったなあ…。(´⊙ω⊙`)


戦後最大の“有名人”にして不世出のヒーロー、力道山。これまでの「誰でも知っている力道山」に「誰も知らなかった力道山」を重ね合わせ、日本人にとっての力道山という存在の意味をあらためて見定めようとする」そのエッセンスを紹介しよう。


まず、一人の男と故郷との組み合わせというアングルがある。
金信洛が生まれ育った頃、朝鮮半島はまだ日本の植民地だった。その一角である咸鏡南道の浜辺で行われた相撲大会で、三位に入賞した金信洛に一人の日本人が目をつけた。相撲ファンの日本人が、植民地である朝鮮の少年に目をつけ、強引にスカウトして日本へ連れ帰った。これこそが力道山物語の真の発端であり、力道山問題の本質となる構図だった。日本と朝鮮半島の力関係が、気の進まぬままの金信洛を日本へ渡らせてしまった。


そして、日本にいるあいだに朝鮮戦争が始まって、38度線が引かれ、金信洛は故郷へ帰る道を閉ざされてしまう。故郷である北朝鮮と敵対する韓国をバック・アップするのはアメリカ……それを呑み込んだ上で、アメリカのマットで活躍する白人を空手チョップで打ちのめす力道山の姿を思いかさねると、空手チョップのエネルギー源と故郷喪失が結びついてくる。


力道山はなぜ急に怒るのか……という力道山プロレスの謎とも、故郷喪失がつながって見えてくるのだ。そうやって考えていくと、力道山という存在は単なる傑出したプロレスラーではなく、さらに奥深い普遍性を背負っていたということになる。私は、力道山の出自に対するショックというよりも、そこから修正される力道山像に強い興味を抱かざるを得なかった。


やっぱり「昭和の巌流島の血闘」木村政彦との真実が心に響く……。改めて梶原一騎の「男の星座」を読み返したくなりました。格闘技ファン必読!オススメです。(╹◡╹)



力道山がいた (朝日文庫)